ドラッカーを学ぶときに、日本人が陥りやすい間違った成果主義の解釈
私は今、所属しているあるコミュニティで、ドラッカーの『経営者の条件』読書会を開催中です。
参加者のみなさんがとてもよく勉強されていて、かなりレベルの高い会で、毎回私も勉強になっています。
その過程で、ドラッカーの本を読み始めた方々にとって、本の中で何度も繰り返し出てくる「成果」という単語について、どうやら以下のように感じていらっしゃる方が多いようだと気づきました。
「ドラッカーは何にも増して成果重視で、日本人的には少し馴染めないところがある」
先日の読書会でも以下のような、とても傾聴に値するご意見をいただきました。
「ダニエル・キムの『成功循環モデル』では、最初から結果(成果)を求めてしまえば組織はBad Cycleに陥ってしまいうまく機能しない。まずはメンバー間の「関係の質」を構築するところから始めよ、と教えていて、ドラッカーの成果主義とは対極にある考え方ではないだろうか」
このあたりのことは、斉藤徹さんの『だから僕たちは、組織を変えていける』に詳しく書かれていますので、ご興味のある方は是非お読みください。この本は、私がここ数年で読んだ本の中でも至極の一冊です。
このことについて、あるドラッカー学会の方とお話しする機会があった時、こんなことをおっしゃっていました。
「20年ほど前に日本で流行した誤った成果主義の影響で、日本人が成果という言葉を嫌悪するようになっているということは、私たちも感じているところで、これは日本という国にとって大損害だと感じています。組織のために成果をあげなければならいのではなく、自分自身を幸せにするという責任を一人ひとりが果たすために、組織に成果をあげさせる必要があるというドラッカーの考えが広まってくれたら良いのですけど」
日本での会社組織のスタートは、多くは家族経営的でしたし、現在に至るも雇用スタイルにおいてメンバーシップ制が多い日本の企業では、成果よりも前に人間関係、成果の出来不出来ではなく頑張ったプロセスを評価する企業文化が主流だったので、成果という言葉が与える印象が悪かったのでしょうか。
そこにもってきて、20世紀の半ばからは、成果さえ上げればどんなに冷酷な企業文化でも構わない、人の幸せよりも成果が先だ、というまったくひどい考えの誤った「成果主義」の風潮が現れ始め、「成果」という言葉のイメージを決定的に良くないものにさせてしまったようです。
ドラッカーマネジメントの根底にある思想については以前にも書きました。
ここでもう一度少し長くなりますが、大書「マネジメント」のまえがき部分のドラッカーの言葉を紹介します。
組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、それこそが社会を全体主義から守り、自由で民主的な世の中を維持し、個人の自由と尊厳と自己実現を可能なものとするのだという主張です。
この成果をあげるというテーマを、「人のマネジメント」の観点から見ているのがダニエル・キムの成功循環モデルで、「仕事のマネジメント」として捉えているのがフレデリック・テイラーの科学的管理法なのかもしれません。
そしてそれらを調和させているおおもとの全体像こそが、ドラッカーマネジメントであると言えます。
「成果」という言葉の意味が、正しく伝わるように活動していかなければいけないと、再確認することができた次第です。