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ドラッカー教授が発明した「マネジメント」の根底にある思想とは

私が所属しているドラッカー学会は、今年度から「NPO法人ドラッカー学会」として新たにスタートすることになりました。
ご興味がありドラッカーをもっと深く知りたい、学びたいとお考えの方は、ドラッカー学会のHPから入会の手続きをしてください。
様々な分科会活動があり、みなさまのご参加をお待ちしております。


私は会社勤めをしていたころ、周囲の人たちにドラッカーの話題を持ち出そうにも、ほぼすべての人がドラッカーを知らない、あるいは名前すらまったく聞いたことがないといった職場環境にいて、とても寂しい思いをしていました。

ある時には、経営上の課題解決場面で経営陣のひとりだった私は会議の席上、「それはかなり無謀だと思います。因みにドラッカーはこう言っています」と発言したところ、ある役員から「ドラッカーは単なる学者だ、学者の言うことと実際の経営は違う!」と一喝されてしまったこともありました。

その後も、めげずに独自に勉強し続けていましたが、ふと学会のHPにたどりつき、思い切って入会の申し込みをし入会が認められ参加したところ、実にたくさんのドラッカーを敬愛し深く勉強されている人たちがいたことを知り、ようやく居場所が見つかったように感じています。

そこで今日は原点に戻って、ドラッカーのマネジメントの核心部分についてお伝えしておきたいと思います。

ドラッカーが「マネジメント」という概念を発明したのは1954年に出版した『現代の経営』(原題 The Practice of Management)においてが初めてと言われています。

それまでもマネジメントという言葉自体は存在し、「管理」とか「統制」とかいったかなり狭い意味に使われていましたが、それがなぜ、ドラッカーが発明したと言われているかというと、成果をあげる活動を体系的にまとめ上げることによって、後世の多くの人々が利用可能になったからだと思います。

そしてドラッカー教授は、この本の出版から19年後の1973年に出版された『マネジメント』(原題 Management : Tasks,Responsibilities,Practices)の「まえがき/専制に代わるもの」に、マネジメントの根底にある強烈な想いを次のように書いています。少し長文ですが引用します。

「組織が成果をあげられないならば、個人もありえず、自己実現を可能とする社会もありえない。自立を許さない全体主義が押し付けられる。自由どころか民主主義も不可能となり、スターリン主義だけとなる。自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。
全体主義は競争を許さず絶対のボスを据える。責任を与えず恐怖によって支配する。(中略)したがって、自立した組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントである。マネジメントの力である。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである。」

『マネジメント』(上)ダイヤモンド社

マネジメントが管理や統制などを意味するのではなく、社会を全体主義から守り、自由で民主的な世の中を維持し、個人の自由と尊厳と自己実現可能なものとするためには、自立した組織が成果をあげる必要がある。

それを可能ならしめる機能こそが『マネジメント』であるという思想です。

したがって、その守備範囲は「仕事を生産的なものにし、人に成果をあげさせ」よりよい社会をつくるための考え方や実践方法まで広範囲に及ぶものです。

このドラッカーの思想の根底には、彼が5歳のときに生まれ故郷のウィーンで体験した第一次世界大戦と、その結果としてのハプスブルグ家の崩壊、そしてオーストリア=ハンガリー帝国の解体という社会の激変。

さらに、フランクフルトで大学に通いながら働いていた23歳(1933年)のとき、ナチスが少数与党として右派連合政権を組閣し、彼の初めての著書が禁書として焚書処分になり危険を察知してロンドンに逃れた経験があります。

よりよい社会と人々の自由や自己実現、そして幸福を創るための機能こそが「マネジメント」であり、これこそが、すべてのドラッカーの著書に貫かれている核心部分です。

是非、多くの方々に読んでいただきたい名著です。


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