「その肩書がなければできない仕事だけをしなさい」と教えてくれた上司の言葉
先日、ある企業の部長さんからこんな話を聞ききました。
その方は部長職になった時から部下たちに「自分は現場のことは決めないから自分たちで考えてやりなさい」と宣言しマネジメントに徹している、お陰で時間がとれるようになり、部下や上司との1on1の時間などに使っている、ということでした。
その話を聞き、勇気を持ってプレイングマネージャーから脱却している立派な覚悟と行動だなと感心しました。
世の中にはプレイングマネージャーの方が大勢いらっしゃると思います。
そして、組織に属している人たちの中で、最も苦しい思いをされている方々が、この立場の方々なのではないかと推察します。
そんな苦しそうな姿を見た若い社員たちから、「私はマネージャーになりたくない」という声が上がるのも無理ないことかも知れません。
よくプレイングマネージャーの方から、「忙しくて、マネジメント本来の仕事ができない」という声を聞きますが、私はそれは誤りであって、「マネジメント本来の仕事をしていないから忙しいのです」というのが、厳しいようですが正解だとわたしは考えます。
マネージャーになったら、最初に考えて実践しなければならないことは、「人材を活かして成果をあげる」ことです。
つまり、他の人を使って期待されている成果をあげること、少し言い換えるならば、他の人を生かしてその人に成果をあげさせることです。
その仕事を後回しにするために、自分自身の負荷がいっこうに減らずに、組織全体の成果をあげる方向性も明確に出来ないまま、結果、自分がますます忙しくなるという悪循環に陥ってしまいます。
プレイングマネージャーの存在は、スタートアップや小規模企業ではある意味当然のことで、企業にはトップ自らが現場の陣頭指揮を執り、率先垂範して規模拡大に持って行く時期が必ずあります。
しかし一定以上の規模になってきたら、いつまでもその状態では全体の成果に結びつかなくなってきたり、後継者が育たなくなったりしてしまいます。
私の過去の経験談で恐縮ですが、私は30代半ばで地方の営業所長になった時からずっと、自身の現場担当業務を一切持ちませんでした。
それは、20代で師事した上司から、次のように教わったことが私の仕事のスタイルを決定付けたからです。
「この肩書を持たなければできない仕事だけをしなさい」
「だけ」というのがミソで、その肩書を持っていなくてもできる仕事は、他の人にやってもらいなさいということです。
私にとって、この肩書とは「長」のつく肩書で、その仕事は以下のようなドラッカーの教えを実践しなければならないということを意味していました。
これが「長」と名の付く人たちに課せられた仕事だということです。
もっとも、30代の頃にはまだドラッカーを読んではいなかったので、これを教えてくれた上司には今でも感謝しています。
とは言っても、言うは易しで実現場でどう実践していくかはそれぞれに課題満載ではないかとお察しします。
特に自分だけの意志で決められないことも多々あるかと思います。
でも、そこは勇気を持って、期待される成果をあげるために、最も重要なことに集中しなければなりません。
最後は「勇気」です。