〈英語あたま〉になると〈本心〉に戻る訳
オレは最近、英語で言葉を表現した方が、本心に近い言葉になる…という事に気がついた。
例えば、〈浜辺を歩いている自分〉をイメージした時の気持ちを日本語で表現すると[浜辺に立ちたい]になるが、英語あたまで考えると
[I wanna stand on seeside]ではなく
[浜辺にずっとたって、朝日が上がるのを見ながら自分を見つめたい I wanna forcus in my mind on the beach all the time ,while watching the morning sun rise. ]
…と変わる。
自分の中で何が違うのか考えてみた。
たぶん、自分の気持ちは普段から自動的に日本語に変換される。でも英語に変換しようとすると、どうしても〈自分が本当に考えている事は何なのか〉を素直に認められるようになって、何というか、本心に立ち返ってからじゃないと言葉に変換出来ない感じだ。
本当にしたい事、どうしたいのか、改めてちゃんと考える作業がはさまる。
多分〈最も簡単な単語を探す〉という作業が関係しているような気がする。
〈チカラが抜けているような気分〉と関係がある気がする。
コレはスピ界で言うところの〈最も簡単で楽な道を生きる〉的な考えに近い気がする。
普段の生活の中で、何気なく思う(浜辺を散歩しよ)…という気持ち。それは本心じゃなかった。
オレは気付かないでいたが、実は(自分の心を見つめて整理をしたい)と言うのが本心なのだ。
コレをオレは〈英語あたま〉を利用して気がついた。
普段の日常の中で、オレ達はいつも〈本心〉を自分で隠しているのだと思った。
自分の〈本心〉に気がついていないのだ。
大した事じゃないけど、オレにとっては〈とても大した事〉なんだと思う。
自分の本心に気がつきながら生きる事は、スゴい〈快感〉をともなうからだ。
モヤモヤがない状態で非常に気持ちが良い。やめられない。一度でも味わうと〈そうでなくてはいられなく〉なる。
それほど強力な〈依存性〉がある。
So,I think about me with the English.