幼い選択
人生は選択の連続だ、と某アニメのキャラのセリフにありました。
判断が遅い、というセリフもありました。
奇しくも同じ声優さんが演じておられますね。
自分の人生で胸を張って「選択した」と言えることがいくつあるでしょうか。
選ばされた、選ばざるを得なかった、勝手に決められた、状況に流された、強制され受け入れた、それらも側から見れば「自分で選択した」ことになるのかもしれません。
そんな中で一番印象に残っている「選択」は小学校2年生の時です。
私は母子家庭で育ちました。父親の顔は知りませんでした。
普段は穏やかで頭のいい人ですが酒癖が悪く、飲むと暴れて手がつけられなくなって、生傷が絶えなかったと聞いています。
ある日、復縁話が持ち上がりました。
ずっと父親がいるという多くの人が当たり前としている生活に憧れていた私は浮かれに浮かれ、クラスの友達に
「お父さんができるんだ、苗字が変わるんだ」
と触れ回りました。今思えば早まったものです。
しかも父親には2人の娘がおり、一人っ子の私にとって妹ができるわけです。
その頃2人は県外(しかも遠方)の父方の祖母と暮らしており、すぐには会えず。復縁が決まれば呼び寄せるとのこと。
一緒に暮らすのが楽しみでした。
しかし酒癖が悪いのは残念ながら変わらず。
深夜に酔っ払って「顔を見に来た」とドアをドンドン叩くことが何度もあり、母は復縁を見送ることを考え始めます。
そのとき母は私に、
「こういう状況なんだけど、それでもお父さんがほしいか」
と問いました。
それでもいい、といえばおそらく地獄のような生活になっていたでしょう。
まあどっちにしろたいした暮らしではないので地獄の一丁目か三丁目かの違いしかないでしょうが。
私は
「いらない」
と答えました。
その後、父親とは一度も会っていません。
結局は2人の娘を世話してくれる人間としてうちの母が浮上しただけのことでした。
楽しみで楽しみで父の苗字、自分の新しい苗字になるはずだった名前を書いた消しゴムはすぐに捨てました。
あと先考えない子供ゆえに浮かれて触れ回った再婚話がなくなったことを友達に伝える虚しさは、はっきりしないことを人にしゃべるのはやめよう、という人生の教訓になりました。
それから40年近く経ったある日、会うことのなかった妹から手紙が届き、父が7年前になくなっていたことを知りました。
連絡を取る必要があったから手紙が来ただけで、それがなければ関わることはなかっただろうし、亡くなったのを知ることもなかった。
かといって死に目に会いたかったとも思わない。
驚くほど何も感じませんでした。
必要書類を集めるのが面倒だな、知らないところで死んでも迷惑かけられるのか、としか。
あの時母は1人で「再婚やめる」と決めてもよかったのに、8歳の私の意見を聞いた真意はわかりません。
悪い意味で嘘がつけない人なので言わずにおれなかったのか、ひとりの人間として尊重されたのか、単に背中を押してほしかったのか、責任を負わせたかったのか、特に意味はないのか。
ただ、あの「選ばざるを得なかった選択」が人生で一番印象に残っていることは間違いありません。