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映画「インターステラー」に見える「‘39」の幻影

 クリストファー・ノーラン監督のSF映画「インターステラー」と、イギリスのロックバンド、クイーンの楽曲である「‘39」はストーリーがよく似ている。こんなマッシュアップ動画が作られるほどには。

二つの作品の共通点

 映画「インターステラー」のあらすじは以下である。

 劇的な環境変化によって、地球の寿命は尽きかけていた。生きて帰れるか分からない、重大な使命を担う壮大な旅に選ばれたのは、まだ幼い子供を持つ元エンジニアの男と数少ないクルーのみ。彼らは、居住可能な新たな惑星を探す為、前人未到の未開の地へと旅立つ。人類の限界を超える不可能にも思える史上最大のミッション。果たして彼らは、自らの使命を全うし、愛する家族の元へと生還することが出来るのか! <インターステラー公式HPより>

 一方の「‘39」は歌詞は少々難解であるが、いわゆる「浦島効果」がテーマであり、地球に住める場所が少なくなった時代、新天地を求めて主人公が旅立ち、そして帰ってくる頃には地球では長い年月が経っていた、というストーリーである。

和訳付き動画:


 このように、基本的なストーリーはほぼ同じである。地上の環境が悪化して人類の移住先を探さざるを得なくなり、志願者(”volunteer”)たちが宇宙へと旅立つ。そうしている間に地球では長い年月が経ち、そこへ主人公が帰ってくる。

物理学的な背景

 どちらの作品も元となっているアイデアは相対性理論とそれによりもたらされる時間の遅れである。
「インターステラー」の原案は映画プロデューサーのリンダ・オブストと理論物理学者のキップ・ソーンによるものである。特にキップ・ソーンはブラックホールや重力波を専門としている研究者であり、この作品の肝となるアイデアは彼のものだと考えられる。彼は1967年からカルフォルニア工科大学で助教授を経て教授職に就き、2017年にはノーベル物理学賞を受賞している。
 一方の「‘39」はクイーンのギタリスト、ブライアン・メイによる作詞作曲である。ブライアンは1972年頃までインペリアルカレッジで天体物理学の研究をしており、2007年には同大学で博士号を取得している。研究内容は黄道光と呼ばれる夜空に観察される光についてだ(彼の論文の中では相対性理論について言及されている部分があるが、「今回の研究では特に考慮する必要はない」と述べられており、相対性理論自体は専門ではないようである)。
 二人は大学や学生の時期は違っているが、専門分野は近く、もちろん相対性理論についてはよく知っているはずだ。キップ・ソーンやクリストファー・ノーランが「‘39」について知っていたか、またはこの曲を念頭に映画を制作したかは定かではないが、似たような知識背景を持っているとは言えよう。

 簡単にではあるが、二つの作品がテーマにしている相対性理論による時間の遅れについて説明したい。アインシュタインによって記述された相対性理論によると、自分から見てとても速いスピード(光の速さに近いくらい)で動いている物や人は、自分に比べて時間の流れが遅くなっていると考えられる。また自分よりも強い重力の影響を受けている物や人も、自分より時間の流れが遅くなっていると考えられる。つまりとても速く動いたり、とても重力が強い場所にいたりすると、そうでない人に比べてゆっくりと年を取る、というわけである。

さらなる共通点

 とはいえ相対性理論をテーマとしたSF作品は世の中に数多く存在する。その中でもこの二つがよく似ていると感じるのは、他にも共通点があるからだ。

 「‘39」の歌詞に繰り返し出てくる、「Don’t you hear my call though your many years away   Don’t you hear me calling you」という部分。ライブでは観客が一緒に歌う、ファンにはお馴染みの歌詞である。遠く離れた地球へ、孤独な宇宙船から呼びかける。そんな場面が思い浮かぶ歌詞だ。
 同じく「インターステラー」でも、遠く姿の見えない人々への呼びかけのシーンが多く存在する。主人公から地球に残る子供たちへ、また同じく宇宙船に乗る飛行士から父へ、あるいは先に旅立った仲間からの呼びかけ。時に愛を感じさせる穏やかなシーンもあれば、苛立ちや不安に襲われるシーンもあり、何度も描かれるこれらの「呼びかけ」は作中で非常に印象的である。
 双方とも何度も繰り返されるこのモチーフは、作品の意味や与える印象に非常に重要な役割を果たしている。

 また、「‘39」の歌詞でいっそう不思議なのが「Write your letters in the sand」という部分である。なぜ砂に手紙を書くのだろうか。あまり宇宙と関係がないように思える。しかしこの一見不可解な部分が、「インターステラー」の世界にぴたりとはまってしまう。映画では冒頭から砂に塗れた家と、その被害により農作物が育たなくなってしまうというシーンが描かれる。そして主人公は砂による模様がメッセージを伝えていることに気がつき、地球を救うミッションへ参加することとなる。映画の後半では、そのメッセージは主人公自身が送ったものであると判明する。
 「人類が住めなくなる地球」というのはやはり砂漠化が想起されやすく、このような共通点が生まれたのだろうか。「‘39」は一つの曲であるから、ストーリーの内容については詳しく描写されていない。そこへ「インターステラー」は新たな想像を吹き込んでくれたような気がする。

余談:宇宙空間でマット・デイモンに出会ったら信用していいのか

 映画にしか関係のない完全なる余談であるが、「インターステラー」中のマン博士(役:マット・デイモン)は裏切り者である。正しくは生き延びるために主人公たちを騙した、ということになるが。
 一方で「オデッセイ」では火星に置き去りにされた宇宙飛行士(役:マット・デイモン)は孤独の中でも奮闘している。宇宙がテーマの映画はなんとなく怖くて苦手だったのだが、「オデッセイ」を見て苦手意識を克服できたので、宇宙空間にいるマット・デイモンには個人的に全幅の信頼を置いていた。もちろん「インターステラー」に出てきた時もこれで一安心だと思ってしまった。そこからの裏切りである。衝撃が大きい。

 そこで私は思った。宇宙でマット・デイモンに出会ったら、信用すべきか否か?非常に難問である。味方であればこれほど頼もしい存在はいないだろう。知識と勇気で大きな助けになってくれるはずである。しかしそれが一人生き残るための作戦だったとしたら……?
 きっと答えはジャガイモにある。ジャガイモが栽培できれば安心、マット・デイモンは信頼していいし、そうでなければ警戒しておいた方がいいに違いない。

映画と曲が、お互いにさらなる魅力を与え合う


 「‘39」では、宇宙船が光速に近い速度で航行していたために、相対論による時間の遅れが生じて地上では長い時間が経ってしまった、という解釈が主流のようである(私の偏見であるが)。しかし「インターステラー」では移動にもっぱらワームホールが使われており、時間の遅れが生じた原因は主に強い重力場にいたためや、高次元空間に存在していたためであると考えられる。「‘39」は「浦島効果についての曲である」ということしか分からないため、もしかしたら時間の遅れは重力場の影響の可能性もあるが、やはり短い歌詞からは想像するしかない。

 そもそも、「‘39」の歌詞からは、主人公たちがどのように新しい土地を見つけ、そしてどのように帰還したのかということについて知ることができない。もちろんそんな情報なしにも、地球を遠く離れてしまう寂しさや帰還した後に待ち受ける厳しい現実について思いを馳せ、この曲の素晴らしさを十分に味わうことができる。
 しかし「インターステラー」を観ることによって、この曲の後ろに隠されたストーリーについて想像を膨らませることが可能になる。より具体的なものとして。何度も繰り返される呼びかけ、砂に書いた手紙、残していった人への想い、そして主人公たちが経験したであろう数々の冒険。
 また「‘39」という曲があることによって、映画だけでは得られない情動が、そのリズムとメロディから得られるようにも思える。音楽は言葉や映像とはまた違ったように心に作用するから。


 同じ科学的なアイデアを背景に持つことによって、この二つの作品は驚くような共通点を持ち、互いの魅力をさらに引き出している。科学と芸術はお互いに影響を与え合い高め合う、そんな存在であるということを、「インターステラー」と「‘39」が示唆しているように思えてならない。

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