分かり合えないことを分かって

 お医者さんが将来の話をする。結婚して子供ができて、とか言う。昔の僕なら怒ったかがっかりしただろう。僕は結婚も育児ももうこりごりだからそんな事したくない、僕の生育歴を知ってるんだから分かるでしょう?って。でも今の僕は何も思わなかった。なんだかステレオタイプだなあ、としか。傷つきもしなかった。こういうひとなんだろうなあ、とだけ。

 心理士さんに、昔怒られたことが未だに忘れられなくて、色んなことに怯えているという話をした。小さい頃の自分を宥めるように言い聞かせてみたら、と言われた。たぶんインナーチャイルドってやつだ。そんなことが出来たら今こんなに悩んでいないよ。昔の僕ならそうやって泣いただろう。でも今の僕は、なんだか諦めがついてしまっている。所詮、資格も持って経験豊富な心理士さんであっても、簡単にトラウマを治せる訳じゃないし、僕のこと全部分かるわけない。

 僕の家族のことを知っている友達が、自分の家族の仲の良いエピソードを話す。やっぱりほんの少し傷つく。昔の僕なら、どうしてわざわざ僕にそんな話するの、と悲しんだだろう。でも今はどうでもいい。ひとって忘れっぽくて、あんまり考えていなくて、自分の発言が誰かを傷つけているかどうかなんて思考の外にあると思うから。

 ずっと、僕は僕の苦しみを分かって欲しかった。だから不登校になって、自傷して、病院に行って、未遂もした。でもそれだけじゃあんまり変わらなかった。少しずつ話をして、ああここは分かってくれたかもな、とか、意外な所で優しい言葉をかけられたりして、そうして、もしかしたら僕の苦しみを和らげてくれるひとたちがいるのかも知れないと思った。誰も僕の本当の苦しさなんて分からない。だってみんなは僕じゃない、意識を共有することもできないから。だから分かってくれよと叫ぶのは無意味だった。助けてよ、と言ったほうがきっと、傷の痛みが少しは和らぐのだと思う。分かってよ、じゃなくて、辛いってことをただ知っていて欲しい。別になにもいらないから。ただ静かに話を聞いていて。ただそっと微笑んで、隣にいて。分かってくれなくてもいいから。

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