猫以外も被ってるよ
わたしはたくさん被り物を持っている。ねこにいぬ、ペンギンに白鳥、うさぎやかめ、そのほかたくさん。
いや、ほんものの被り物じゃなくて、比喩なのだけれど、誰かといるときは必ずどれかの被り物を被る。
親用のやつ、先生用のやつ、友達1用、友達2用、お医者さん用のやつ、カウンセラーさん用のやつ。僕が話す相手のぶんだけ被り物がある。
相手の間合いに、空気に、性格に合わせるように。相手が僕に望む姿になれるように。
それは無意識だ。いまnoteを書いているのが「被り物を被っていない自分」だとすると、誰かと話しているときは何も被っていない自分の意識や願望はなくなり、その被り物の意識になる。
もちろんその間記憶はある。別人格になっている、とまでは思わない。けれど何も被っていない自分とはかなり違っていて、まるで嘘をついている気持ちになる。
でもたとえば、本当は、なんて言いたいんだろう?
お医者さんには?先生なにも分かってないよ、とか早く死にたい、とかお薬たくさん飲みたい、とかリスカは辞められない、とか病気なんか治る気がしない、とか言いたいと思う。
先生には?僕頑張ってるつもりなんです、でももっと頑張りたいのに頑張れないんです、怠け者かもしれません、でも鬱だって言われたんです、苦しいんです。そんなことを言いたいかもしれない。
友達には?講義に出られないのは怠けじゃないの、病気なのわかって欲しいの。いじられるのは好きじゃない、だから揶揄わないで。できれば少し心配して、助けて欲しい。
本当は沢山遊びたいのに、鬱で元気がなくて遊びにすら行けなくて、色んなことしてるみんなが羨ましい。
本当は僕、全然真面目でも凄くもないんだよ。
そんなことを言いたい。いまこれを書いている、何も被ってない僕はそう思っている。でもそんなこと出来っこない。だって被り物は自分の意思で被ってるんじゃないから。気づいたら乗っ取られるように被り物が着いてて、自分では取ることも出来なくて、そもそも被り物を嫌だって思う自分すらどこかに消えてしまう。だから今ここで、どんなにこう言おうと決心しても全部無駄なんだ。
今日はもしかしたらリスカの痕を見られたかもしれない。気づかれなかったかもしれない。ただの怪我だと思ったかも。でもそれで何か言われたら、被り物を被らない僕が出ていけるかな。たぶん無理だな。また気づかないうちに何かに乗っ取られるんだろうな。
せめて可愛くて優しい被り物を被っていたい。もう本当の自分とやらはこうやって文字にする以外に出てくることはできないのだから。