ひとりでなんとかしてきた

 トラウマについて、資料を読んでまとめる前に、一冊読んで思ったことを書きます。

 どうやら、トラウマとなった出来事は映像として記憶されている(自分視点というか、何度でも再体験できるように保存されているというか)みたいだ。正確な理解ではないかもしれないけれど。

 わたしの嫌な記憶、いまでも嫌な気持ちになる嫌な記憶は、ほとんど一人称視点の映像として記憶されている。noteに書いてきた、三歳の頃転んで怒られたこと、保育園でひとりぼっちだったこと、まだたぶん書いていない小学校の先生に理不尽に叱られたこと、父親の癇癪とか、他人にずっと気を使っていたこととか。

 思い出して話して書き綴る記憶は、全部映像として思い出している。エピソードではなくて、もう一度体験している気がする。そしてそこが、いまだに傷が痛む理由なのではないかと思った。

 これらの記憶に、わたしを傷つけた人や出来事は出て来るけれど、そのあとにわたしを助けてくれた人はほとんどいない。全部自分でどうにかしてきた、どうにかならなくても黙っていた。辛くても一人で我慢したらいいと思って、そしてそうした。全部全部ひとりで。

 だからいまも自分はひとりぼっちだと思うのだろう。誰も助けてくれないし、誰も信用できないし、世界は裏切り続けると思う。ひとりの方が楽だと思う。誰かに助けて欲しいと思うけど、その方法が分からない。

 今日読んだ本には、信頼出来る専門家がすぐには見つからないかもしれないと書いていた。信頼できることが大事で、信頼できないのは悪いことじゃない。信頼できる専門家を見つけるまで、休み休み、でも諦めずに、と。

 わたしこれまでそうしてきた。わたしは間違っていなかったと思う。信頼できる人にまだ出会っていないだけだ。その努力を少しずつだけどやってきたのだ。だから諦めない、けれど休んだりはする。今もたぶん休んでいる。それでいいと思った。

 これまでひとりぼっちで我慢してきたぶん、たくさん泣く。休んでいる間に、たくさん。

読んだ本:「今すぐ使える 誰でもつかえる フラッシュバック 対処と予防」服部信子著



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