間に揺蕩う
大丈夫、はぼくの口癖みたいなものだ。
本当は大丈夫じゃない。いや、頑張れば大丈夫かも。やっぱり助けて。そんな揺らいだこころが、僕の口から出る頃には、大丈夫、という形になっている。
僕は間にいる存在だ、と思う。
病気と病気じゃないの間。ひととひとじゃないの間。普通と普通じゃないの間。どちらにも共感できて、どちらとも相容れない、孤独な存在。
でも僕は間が嫌いじゃない。
文系と理系の間。科学と芸術の間。生物と物理の間。医学と宗教の間。そんな曖昧で複雑な部分に惹かれる。どちらかだけでは足りない。どちらでもない。どちらとも言える。そんな間の存在は、僕を不安にさせ、同時に魅了する。
昔は、きっとこの世には唯一絶対の真実というやつがあって、人類はそれを追い求めているのだと思っていた。それが科学だと思っていた。だから科学は学問の王なのだと思っていた。
けれど科学では分からないことが沢山あると知ることができた。それはひとのこころとかアートとかだけじゃなくて、人間が科学をやっている限り真実には辿り着けないということだ。真実はひとつかもしれない。それに近づくことはできるかもしれない。けれど、真実そのものに触れることは出来ない。触れようと近づくほど遠ざかる。まるで誘惑するみたいに。
曖昧さは不安の元だ。僕は安心が欲しいのに、曖昧さを、何かと何かの間を愛している。友情と恋の間、恋と愛の間、尊敬と崇拝の間、憎しみと哀しみの間。常に僕のこころを掻き乱す。いや、どちらかに確定させよう、そんな世間やまわりの人たちの動きが僕を掻き乱し、不安にさせるのだ。
全ては曖昧なままでいいのに。きっちりと線を引かなくていいのに。大丈夫でも大丈夫じゃなくてもいいのに。死にたくても生きたくてもいいのに。病気でも病気じゃなくてもいいのに。ただ揺蕩っていたいだけなのに。
みんなは、曖昧なままだと、不安?
だとしたら、みんな僕より怖がりだね。僕より心配性で不安症なんだね。だから必死で僕にも確定のボタンを押させようとするんだね。
僕とみんなの違い。みんなのそれぞれの違い。ただ曖昧で混沌としたままで。