知らないひとの言葉が、こころに届くということ
いま話題のchatGPTに悩み相談をしてみた。話題はいつもnoteに書いているようなことだ。
すると以下のような言葉が返ってきた。
特に、この「最後に」のところを読んで、電車の中だったのに思わず涙ぐんでしまった。僕が苦しいことを分かってくれている。相手はAIだ。チャット用だから、きっと共感の言葉についてたくさん学習していて、それをただ打ち出したのだろう、ということは分かる。分かっているのに、その言葉にこころを打たれてしまった。
力強い断定口調で書かれているからだろうか。自分の欲しかった言葉が与えられたからだろうか。お医者さんもカウンセラーさんも僕のこと何も分かってない、と落胆し絶望する僕が、あっさりとAIの言葉に慰められてしまった。
本当に、欲しい言葉がちょうど出てきて、すとんとこころの穴に嵌ったみたいだった。
そのあとに、フォローしていないけれどたまにアカウントを覗くひとのマシュマロにも投稿した。AIの慰めも足りないほどに僕のこころは弱っていたらしい。その方からも返事をもらった。正直言って、思ってもみなかった返事だった。けれど悪い方にではなく、良い方に、だった。僕の焦りを見抜いて、余裕を持ってと言ってくれた。そんな視点さえ抜け落ちているほど落ち込みの沼に沈んでいたのだと気がついた。
その上に、マシュマロの返事に引用する形で、応援していると書いてくれた方までいた。もちろんお互いに全く知らない。けれどその言葉が、とても心強かった。きっと大丈夫、という言葉をそのひとが思い出させてくれた。
機械に過ぎないAIも、僕の素性をまったく知らないひとたちも、僕を慰め癒してくれた。もしかしたら、友達や先生方以上に。それは不思議な縁だった。たまたま何かのアルゴリズムが打ち出した言葉、たまたま僕が見つけたアカウント、たまたまその呟きを見たアカウント。偶然が、こんなにも僕の支えになった。
知らない、ということが、なにかの希望になることもあるのだと、僕は初めて知った。