いい人を辞めよう、うちに帰ろう

 わたしは長年、いわゆる「いい人」だった、と思う。

 保育園の劇で、わたしはやりたい役があった。その役は女の子たちに人気で、代わりに他の役の人数が足りなかった。先生はわたしに、その足りない役に代わってくれないかな?と言った。わたしは頷いた。なんとなく、わたしにはキラキラした役は似合わないと思った。先生には逆らえないと思った。だから大人しくそれに従った。今思えば、先生はわたしなら断らないと思ってわたしに代わってくれと言ったのだろう。そういう子どもだった、確かに。同じことは卒園まで合計3回はあったと記憶している。

 小学校は、同じ保育園から行く子がひとりもいない学校へ行った。心の中で少し、これで自由だと思った。でもそれも間違いだった。転校生の面倒を見るのもわたし。勉強についていけない子に勉強を教えるのもわたし。班長や委員長に誰もなりたがらない時、しぶしぶ手をあげてしまうのも、仲間はずれにされている子を班に入れてあげるのも。
 どうしてそういうことをしたんだろう。たぶん、わたしさえ我慢すれば全てが丸く収まるなら、それでいいやと思っていたから。家庭ではそうだった。わたしが我慢したら、そのぶんだけ家庭の雰囲気はマシになるように感じられた。それと同じことを学校でもやっていたのだ。

 それに、家庭で父親から精神的虐待を受けたわたしは、傷つくのがどんなに辛いことなのかということが心に刻まれてしまっていた。他の人が同じ目に遭ったら、なんて考えると胸が張り裂けそうだった。だから、仲間はずれの子を班に入れるのは、わたしのわがままでもあったのだ。

 それは中学でも高校でも、そして大学でも同じだった。みんながやりたがらなさそうな仕事は頑張って引き受けた。あの、とりあえず誰かが仕事を引き受けるまで黙ってやり過ごそうという雰囲気が辛かったから。みんなやりたくないの、痛いほど分かったから。だからわたしだけ我慢したらいいと思った。

 大学で研究室に入った。その時の先輩たちは、申し訳ないけれど、あまり面倒見が良い方ではなかった。わたしが女で、男の先輩しかいなかったから接しづらかったのかもしれない。それでも、ぶっきらぼうな物言いや、そこかしこで聞こえるため息や愚痴や、質問しにくい雰囲気がしんどかった。先生たちもそんな雰囲気を作り上げていた。むしろ先生たちがそうだから、そこにいる学生も似たようになっていくのかもしれない。その空気が苦しくて一時期研究室に行けなくなった。それでも卒業だけはしなくちゃと思って、そして行くあてもなかったからそのまま同じ研究室で修士になった。
 新しく後輩たちが入ってきて、自分と同じような思いはさせたくないと思った。やっぱり、自分が辛かったことを人にも経験させたくないから。それでできるだけいつもにこにこして、声をかけたり、分からないことは何でも聞いてねと何度も言ったりした。
 それでもわたし自身が辛いことには何の変わりもなかった。それで結局、うつ状態になって研究室を辞めた。最後に、後輩たちや同期何人かで送別会をしてくれた。そのとき、「とひろさんが癒しだったのに」と言われた。自分のやってきたことが伝わっていて嬉しかったと同時に、じゃあどうして誰もわたしのこと助けてくれなかったんだろう?と思った。


 わたしができるだけ人に優しくしたいと思うのは、誰かに傷ついて欲しくないからだ。もちろんそれをゼロに出来るなんて思わない。でも、少しでも減らすことは出来ると思う。わたしがたくさん辛い思いをしてきたから、他の人はどうか幸せに生きていて欲しいと思う。わたしみたいなしんどい思いをする人が他にもいるなんて、余りにも悲しすぎるから。

 それでもわたしが優しくできる範囲も、少し癒しになれる範囲も、世界に比べたら恐ろしく狭くて。あまりにも思い上がりだ。でも何もしないのがしんどい。

 これはわたしがやりたくてやっていることだ、と思っていた。今でもまだそう思ってはいるけれど、でも、わたしが頑張ったぶん誰かがわたしに優しくしてくれただろうか?わたしは救われたんだろうか?そう考えると、とても虚しくなった。

 一生懸命にお手伝いをして、疲れ果ててしまわないようにと気を遣っていたお母さんにも、わたしの気持ちは伝わっていなかった。保育園の先生には上手く使われていた。小学校も似たようなもんだ。中高生になれば友達は面倒ごとや頼みごとをわたしに次々投げかけてきた。大学になって、ほんの少し報われた気持ちになったこともあるけれど、虚しさを埋められる程じゃなかった。


 だからもう、「いい人」なんて辞めよう。少なくとも、わたしの気遣いみたいなものなんて、絶対に伝わっていないということを忘れないようにしよう。正直、ちょっとくらい人を傷つけたっていいかなと思ってしまう。だってわたし色んな人に傷つけられてきたし、その人たちはたぶん気遣いなんかしてなかったでしょう。

 でもそんなの、あまりにも殺伐とし過ぎている。だからただ単に、出来るだけ人と関わらないようにしようと思った。人と関わる時は期待もしない。相手の心情についても考えたりしない。相手が口に出したことだけが真実だと思おう。社交辞令だろうがなんだろうが、言った人の責任でしょう?

 たくさんの人の群れの中で生きていくのに向いてなかった。それだけの話。そう、たったそれだけの話なのだ。

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