「他人と過ごす」ことの難しさ
新年度、久しぶりに人に囲まれて長い時間を過ごした。息苦しい。すぐにそう思った。
同期を見ては、自分はなんて怠けているんだろうと思ってしまう。全然頑張れていない。やりたいことをやれてない。情けなくて悔しい。どうして僕はこんなんなんだろう。病気だから、じゃあなんで僕が病気に?不公平じゃないか、僕だって元気に過ごしたいだけなのに。
先生たちと話しては、自分の未熟さに申し訳なくなる。別に大きいミスをしているんじゃないと思うけれど、研究にはつきものの失敗とか、ディスカッションの甘さとか、そんなもののひとつひとつを責められている気分になる。先生たちはいい人だ。僕にも優しくしてくれる。でもやっぱり僕みたいにこころがボロボロで体力もなくて、みたいなひとがいる訳じゃなくて、その断然に落ち込む。健康なひとに対する当然を僕にも要求される。弱い僕は出来ませんなんて言えなくて、こころは折れたままやります、と答える。
周りにひとがいるとそわそわする。邪魔だと思われてないか、変に思われてないか、怠け者だと思われてないか、馬鹿だと思われてないか、調子に乗ってると思われてないか。全部怖い。幼い頃にかけられた呪い。家の中では僕はそういう目で見られていた。どんなに良い成績をとっても、心の底から認められたと感じたことはなかった。褒め言葉は上辺だけのように思えた。あの演技じみた笑顔と猫撫で声の褒め言葉、思い出したくもないくらい気持ち悪い。僕がなにか頑張ってる間応援しなかったくせに。助けてもくれなかったくせに。そもそもなにをしてるかすら知らなかったくせに。成功したときだけ褒める。そしてすぐに忘れて、また僕に直接間接の罵倒を向ける。
僕は邪魔者だった。家のどこにいても。僕は太鼓持ちで、ずっと親の機嫌を気にしていた。他人もみんな僕が完璧な人間じゃないと僕のことを嫌いになるんじゃないかと思う。呆れて見捨てるんじゃないかと思う。
ひとりきりでいられるなら、僕は幸せだ。好きな本を読んで、好きな映画を観て、好きな音楽を聞いて、それから文章や絵を描いて、粘土やレジンで工作をする。すごく楽しくて充実していて、そんな自分が大好きになる。
けれど隣に誰かが居た瞬間、それが家族でも恋人でも友達でもただの知り合いでも、自分は自分でなくなる。まるで自分の身体を使って別の誰かが動いているみたい。僕はぼんやりとそれを眺めている。しんどいな、と思いながら。
ああ、どうして、人間はひとりでは生きていけないのでしょう?