炎上している話に触れる(セラピストはSNSの発言に責任を持つのだろうか)

「炎上」状態になっている話題について話すので、気分が揺さぶられそうなときは避けてください。











きっかけは以下のツイートである。


ポスト主の伊藤絵美先生は、公認心理師、臨床心理士である。わたしも先生の本を読んでおり、セルフケアの参考にもさせていただいている。

こちらのポストはおすすめTLに流れてきたのだが、それを見て、まず最初にわたしはうわっ、と思ってしまった。心が痛いな、という感じの、うわっ、だ。「甘やかされた」という言葉がわたしにとって痛かった。自殺や孤独死に至る苦しみを抱えている人に、甘やかされた、という言葉を使っている。それも心理士の先生が。それがショックだった。わたしは伊藤先生のとこを以前から存じ上げていたので、お名前を見て心理士の方だというのはすぐに分かった。


しばらくして、このポストの引用やエアリプ的なものも流れてきて、どうやら炎上しているらしいと気がついた。

わたしは(も)、このポストには問題があると考える。それは、やはり「甘やかされた」という言葉を使ったことだ。このポストの主題は、男性が孤独から自殺に繋がる背景とその対処法にあると考える。特に対処法が「よい」ということなので、それが最も重要な部分だろう。この対処法を最終的に受け入れ実践するのは男性である。特に、孤独であり、それによって困り事を抱える(または、抱えるであろう)男性だ。このような人に対して、「甘やかされた」という言葉を用いたのは不適切である。「甘やかされた」には、「躾けられず、わがままに育てられた」という意味が含まれており、かなりネガティヴな言葉である。困難を抱え、対処法や支援を必要としている人、または属性に対して使う言葉ではないと言える。

ただの呟きなのだから、言葉はどのようなものでも良いと考えるかもしれない。しかし、心理士の肩書を公開しているアカウントで発言したのだ。カウンセリングを受けている人や受けようと考えている人が、このような発言を見かけたら、「自分の悩みを相談しても、『甘やかされてきたからだ』と言われてしまうのではないか」と心配するのは、杞憂ではないだろう。
わたしもその点でショックを受けた。わたしは女性であるため、このポストに言われたことそのものには当てはまらないかもしれないが、他の自身の属性に関しても同じように言われるかもしれない。そう受け取ってしまった。


孤独に悩む男性は、潜在的にクライエントである。心理相談には行かないかもしれないが、彼らの悩みを解決するためには、まさにポストにあったような対処法が必要となるだろう。その対処法について学ぶために、また支援を求めるためには心理職の助けが重要になる場面が多々あるはずである。それなのに、心理士の肩書を持つ人が、男性を傷つける表現を使った。これでは困難にある人たちがますます助けを求めにくくなってしまう。だからこそ、伊藤先生の今回の発言は不適切だ。

わたしの主張に本の内容はあまり関係ないと考える。もし、本にはっきりと「甘やかされた」と表現されていたとしても、多くの人が目にする場でその表現をそのまま使うのは適切ではない。困難な状況にある男性も目にすることが考えられるからだ。彼らが見た時、どのように「甘やかされた」という表現を受け止めるか、それが彼らを支援するにあたってどれほど障害になるかということは、心理職であるなら考えられるはずだし、考えるべきである。

また、この文脈で「甘やかされた」という表現を使う必要はない。男性は社会的・文化的背景によって、対人関係のスキルを身につける機会を奪われていたから孤独に陥りやすい。そうであるなら、機会を奪われたとか、身につけるチャンスがなかった、と言える。男性自身にその責任があるわけではないのだ。責任がない、ということについては異論もあるだろう。男尊女卑社会を継続させているのは他ならぬ男性なのだという主張もありうるからだ。しかしそうだとしても、幼少期の彼らには責任があるはずもないし、セラピーの場面でそれを責めることは何の利益にもならない。

伊藤先生の今回のポストの問題点は、本来寄り添うべきである困難を抱えた男性を責める表現を使ってしまった、その不適切さにあると言える。


ここから何点か追加の議論をしたいと思う。


まず、この発言が炎上するに至った背景について。これはわたしの拙い推測に過ぎないけれども、男尊女卑社会への批判が強いあまりにこの発言が出てしまい、また賛成する人も多くなったのではないかと思う。現代社会においても、抑圧された女性が心理的な問題を抱えるということは多いだろうし、臨床の現場ではそのような人によく出会うのかもしれない。だから男性は女性を虐げている、と考えやすくなるのだろうか。その点でしか男性を捉えていなければ、孤独やそれにより自殺する男性のことも「強者」としか見えなくなるだろう。だから「甘やかされた」という批判的な言葉を使える。実際にはもちろん、彼らも弱い立場にある人々だ。このような一方的な見方が、不適切な発言を引き起こす一つの原因になりうる。


二つ目に述べたいのは、「炎上」状態になってしまい、過激な言葉が散見されたことだ。これはこの発言を擁護する側、批判する側どちらにもあった。批判をするにも、賛成するにも、言葉の使い方というものは考えるべきだ。そうでなければ問題の本質が見えなくなってしまう。また、誰に対しても誹謗中傷は論外だ。これでは何を主張し何を守りたいとしても、それを口にする資格はないと言えるだろう。

最後に、公認心理師・臨床心理士の資格を持つ人のSNSにおける発言についてだ。SNSはプライベートな面があるとはいえ、この肩書を表に出している以上、資格に対しての責任がある。一般の人々や、クライエントの信頼を損なう発言をしない、というのは職業倫理のひとつでもあるはずだ。それをおろそかにしているのであれば、心理士全体の信頼失墜に繋がりかねない。今回の件では、伊藤先生の発言を全面的に擁護する(なぜ炎上しているか分からない)というスタンス、またこのような考えは持っていないというスタンスのどちらの心理士も見受けられた。だから心理士もそれぞれだと思えはしたが、擁護している人もいる以上、信頼はいくらか失われた。

わたしが今回の炎上についてnoteに書くことにしたのは、セラピーを受ける側の人間として、心理士の不適切な発言に不信感を持っていると言いたかったからだ。全ての人、どのような属性を持つ人も、差別されずに安心してセラピーを受けられることを願う。

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