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頑張るのライン謎すぎ問題

 色々あって以来、頑張りすぎないでね、とかよく頑張ってきたね、と言われることが増えた。たしかに今までのことを振り返ると良く頑張ってきたかなあと思う。幼い頃から文句も言わず親の言うことに従い、中学受験もそれなりに真面目にやり、中高ではずっとトップクラスの成績で、良い大学に入った。高3のときは当たり前のように1日14時間くらいは勉強していた(授業も込みでだけど)。でもそのときも、私って頑張ってる、とはそんなに思っていなかった。目標に向かってやることをやってはいるけれど、私より頑張っている人はたくさんいる。それこそ睡眠時間を削ったり体を壊しても努力している人はたくさんいたわけで。高校生くらいですでに「頑張る」のラインがおかしくなっている。


 やってきたことを見ると確かに人生色々頑張ってきたと思う。でも自分の中に頑張った、という感覚はあんまりない。なぜだろう?そもそも頑張るって何だろう。
 私は出来るだけ無理しない主義だ。好きなこと、楽しいことしかしない。苦しいことがある人生なんて最悪だからだ。勉強だって楽しいからしていた。これを書いている午後9時、ちょうど実験が終わって家に帰っているところだけれど、それでも頑張ったな〜と言う感じではない。やろうと思ってたところまでできて良かった、とは思うけれど。頑張る=苦しい、はわりと一般的な考えのように思えるし、私もそう思っているので、楽しいことしかしません!な私のやり方だとどうしても頑張ってるとは言いづらい。
 それに無理しない主義、と言ったけれど私の無理はかなり高いレベルなのだと思う。例えば過労で倒れて医者に止められるとかそんな感じの。精神疾患にまでなって何言ってんだって感じだけど、私って全然頑張ってない気がする。今日も授業中居眠りしたし。テスト勉強もそんなにしてないし。これも症状のひとつ?


 などと書いていて思ったけれど、もしかしたら私は結構完璧主義かもしれない。頑張ったかどうかを減点法で採点している。今日は寝坊したからマイナス、今日は自炊しなかったからマイナス……みたいな。だから頑張ってるね、と言われてもえ??サボり魔ですよ??という気持ちになる。

 それに、人は私より頑張っている、という気持ちが拭えない。あの人は遅くまで残業してるし、あの人は家事も育児もしていて、あの人は……なんて他人と比べる。こいつよりは頑張ってるわ、と思ったことがない。ニートの人を見ても、きっとその状況に葛藤して、心の中では戦って頑張ってるんじゃないかななんて勝手に考えてしまう。もう世界中でいちばん頑張ってないのは私なのでは?

 あとやりたい事が多すぎる。研究も勉強もそれなりにしたいし、文章書いて絵を描いて手芸のひとつでもして楽器も弾いて、なんてどう考えても1日が短すぎる。あとそんなに体力ない。やりたいなーと思ってたことが出来ないと頑張れなかったなあって思ってしまう。

 そう考えると、今日は頑張ったか、という評価軸自体を捨て去るべきなのかもしれない。上にあげた考えは多分認知の歪みのどれかに当てはまるけれど、それを苦しくない方向へ変えるのはかなり時間がかかると思うので。
 今日は楽しいことがあったなとか嬉しいことがあったなとか、そういう方向で考えていけばいいかも。書きながらそれも難しくね?と思ったけど。


 自分以外の人が「頑張っている」についてどう考えているのかも気になる。たぶん結果を出したかとか、努力してる姿が見えてるかとかだと思うけど。頑張ってるのラインをどこに設定してるのかも気になる。いずれにせよ他人の(もしかしたら自分のも)頑張りなんて認知した範囲でしか考えられないのかもしれない。そもそも頑張りなんて尺度、どうでもいいのかもしれない。


 とりあえず、本気ではまだ思えてないけど、頑張ってるよ自分、と言ってみようと思う。

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