此処にいて良いんですか
僕には自己肯定感みたいなものが全然ない。いま、ここ、に存在していること自体に罪悪感を覚えている。無意識にだけれど。
それは形を変えて表層へと浮かび上がる。僕は僕の欠点を見つけ出し、ダメ出しをし、いつ誰かが怒り出すのだろうと怯える。結果として不安障害だと言われる。
昔を思い出す。父親や母親に言われた小言、怒鳴り声、威嚇、そんなものを思い出しては再び自分に投げつける。もう一人の僕が、ほら、怒られちゃうよ、と僕を責める。
今思えば驚くほど細かいことまで怒られていた。ソファのどこに座っているか、父親の動線上に突っ立っていないか、視界に散らかっているところが入らないか、どのテレビ番組を見ているか、新聞のどこを読んでいるか、あげればキリがない。一挙手一投足全てに一度は文句をつけられたことがあると思う。
だから僕はここにいちゃいけないんだ、生まれてきてごめんなさい、という思いは僕自身の欠点を探し責めるという行為となって表れる。本当に驚くくらい瞬時に思いつく。そんなことないよ、という言葉が追いつかないくらい。
自分が世界の中心なんだ、と思うくらいでちょうどいいのかもしれないね、と言われた。そうかもしれない。少なくとも人間は各自存在を認められて然るべきだ。言葉としては分かる。でも頭も心も理解を拒む。きっと、健全な方法で自分を認めている人を一度も見ずに育ったからだ。今さら学びようもない。
それぞれが世界の中心なんだと言われたから、電車でみんなが自分の輪っかを持っているのをイメージしてみた。そうしたら僕の輪っかだけみるみるうちに縮んで、ほかの輪っかに押し退けられてしまった。
今度はスライムみたいに柔らかくて可塑性のあるものを想像したらどうかと言われた。でもやっぱり、僕を包む柔らかいものは、何か鋭いもので貫かれ切り裂かれて壊れてしまった。
安心を集めて、僕は此処にいても良いんだ、と思うことが治療のゴールだと思う。でも物語みたいに上手くいかない。一緒に戦う仲間だとか、支えてくれるパートナーだとか、そんな人簡単に見つからないし、見つかってもゴールまで辿り着けるか分かんない。
じゃあやっぱり一人の方がいいんだよ。この世界にいちゃいけないから、僕ひとりの世界に引きこもっていたい。
ほんとうに、ぼく、よくなるのかなあ?