戦場を生きる術

 ひさしぶりに、僕の生い立ちを知らない心理士さんとの話し合いがあった。軽く家庭環境のことを話したときに、「今までは戦争の中で生きてきたようなものだ、急に平和な場所に来たからその時抑えられていた症状が出てきているんだ」ということを言ってもらえた。虐待についての話でたまに聞く喩えだけれど、自分自身に言われたのは初めてだった。

 自分の生きてきた幼少期を思い出して、戦争、と言われると、ああそうかもしれないな、と思う。戦争だって毎日危険がある訳じゃない場合が多い。でもいつ敵が襲ってくるか、爆弾が飛んでくるか、そんな恐怖は常に感じているだろう。そんな中で暮らす子どもや大人が生き延びたあとは……ということも考えたけれど、その話は別の機会に書こうと思う。

 僕の場合は、そんな戦場を生きる為に感覚と思考を総動員して、降り掛かる恐怖に対応しようとしていた。父親が帰ってくる時の車の音。お風呂から上がりそうな音。これは機嫌が悪いな、という態度。いまこれをやる・やらない、言う・言わないの判断は全て「父親に怒られないかどうか」が基準だった。それでも避けきれない爆弾はあった。そのどれもが理不尽だったと今では思う。それでも当時は考えが及ばなかった自分を責めていた。

 さて、こうして戦場で生き延びる術ばかり磨いてきた僕は、平和な世界で生きる方法を全く知らなかった。他者とは、特に自分より上の立場の人とは僕に理不尽な怒りをぶつけるものだった。だから常に怯え、機嫌を窺って生きていた。それなのに他の人はそうではないみたいだ。伸び伸びとやりたいことをやり、何も深く考えずに行動し、時にはそのせいで怒られ、それでもあまり気にした様子はない。あれ、おかしいぞ、と思った。僕にはそんなふうに生きるにはどうしたらいいのか、未だに分からない。だから平和な場所に来たと分かっている今でも、戦場に居た頃の思考と感覚が自分を襲う。

 だからそんな平和な世界の住民たちを羨ましく思い、そして時に憎たらしく思う。何も考えなくてもよかったきみたちが羨ましい。どうして僕はまだ何もかもに怯えているんだろう。

 そして、僕と同じように戦場で育ったのかもしれないな、という人にも僕とは違う生き延びる術を持っている人がいるらしい、と気がついた。
 親は酷かった、でも自分は正しい(いい親だ)と考えて生き延びる、という手段だ。もしくは親も良い親だったと考えている人もいる。毒親問題や虐待について話すとき、自身も親なのに子ども目線から「自分の親もこんなことをしてきて酷かった」と言う人を何人か見てきた。そんな人に限って僕の親への感情に文句を言う。僕のnoteを読めばそれがズレた文句だと分かるはずなのに。noteもどうしても読んで欲しいと思った生い立ちについての記事はTwitterで紹介している。それなのに読んでいない、見えていない。そうやって戦場を過ごしてきたんだな、と今は思う。親の問題、自分の問題、家庭の問題を見ない、無かったことにする、それがその人たちの戦場を生き延びる術だったのだ。
 だから親は酷かった、と言いながらも自身が親として発言するときには「親も大変なんだから」と言い、Twitterに子どもの個人情報や愚痴を垂れ流す。きっと今まで色んなことの前で目を瞑ってきたから、今でもそうやっているのだろう。

 もちろんこれは個人的な仮説だ。でもそう考えると納得がいく。そして毒親の問題が次の世代へと連鎖していく理由も。

 僕の感覚と思考で生き延びる、という方法はある意味良い選択だったのかもしれない。その選択は偶然と僕の元々の素質によるものだったとは思うけれど。今そのせいで精神疾患になり苦しんでいるけれど、それも平和な世界に慣れるための苦しみだ。全く違う価値観の世界に来たら誰だって苦しい。けれど僕は良い場所に来れたのだ。だからゆっくりとそこに慣れていけばいい。ちょっとずついろんな人の助けを借りて。そう感じて、考えることが出来ているのは、戦場を生き延びる為に技術を伸ばしていたから、かもしれない。
 この技術はいつか、人の為に、特に家庭の問題で苦しんでいる子どもと元子どものために使おうと思う。

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