嘘の家族を作っていたのはわたしだった
機能不全ぎみの家庭に生まれ、わたしは幼い頃から親の顔色を窺うのに必死だった。仲良く、平和で、楽しい家族。それを装うのに必死だった。
幼児の頃は父親によく懐いている子どもを演じていた。家庭の中で父が最も怖く、空気を支配していた。そこで父親がわたしを可愛がりたいという空気を察して、自ら父親に遊んでと言いに行っていた。もちろん機嫌が悪そうなら近づかない。そうするうちに、家族はもちろん、親戚、近所の人にも「父親っ子の娘」というのが印象づけられていった。
小学校高学年になるこ