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春子の春

 今年は花見をしていない。毎年花見の季節になると誰かしらから花見に誘われていたが、今年、春子のもとに誘いはなかった。しかし、別に寂しくはなかった。

 みんな忙しいんだろうな。

 社会人になって二年目の春。春子の会社も新卒社員を迎えたが、春子には吹かせる先輩風は湧いてこなかった。

 全然社会人になった気、しない。

 前の前の桜を見た時、春子は理工系の大学院にいた。学部の四年と院の二年。合計して六年の帰属意識を持つ場所は小学校ぶりだった。学生気分、院生気分はなかなか抜けない。
 大学院に進むくらいなので、研究や実験は好きだったし、なれるものなら研究者になりたかった。しかし院に進む選択をした時、これはモラトリアムの延長であるという意識が脳を掠った。
 まだ解明されていない何か、見つかっていない何か、それを自分が見つけられると信じることができたなら。少しでも不確かなものを信じる勇気があったなら、そのまま研究者の道を歩んだかもしれない。勇気がなかった春子は、モラトリアムで背負った年貢を納めた。実際に背負っていた年貢とは何なのか、今でもよくわからない。

 仕事して金も稼いで、一人暮らしもして、自立したとは思うけど、「自分は立派な社会人です!」って言っちゃいけない気がするんだよなー。

 会社員になれば、もっときっかり気分が切り替わるものだと思っていたが、どうやら自分はそういうタイプではなかったらしい。

 就職したくらいじゃ、年貢、収まらないのか?

 通勤時間を考慮して借りたワンルームのアパートの窓からは桜が見えた。この国では、この花で巡る季節が強く意識される。年度が四月始まりなのも、桜の花のせいなのかもしれない。

 来年も桜は咲くんだろうけど、私の中の「大人」は来年には目覚めてるんでしょうか?

 「大人」になった自分を想像してみる。後輩、部下に的確な指示を出し、客先でも丁寧に名刺交換をし、どんなことがあっても冷静で、時候の挨拶を駆使し……? 春子の抱く「大人」のイメージは希薄なのだった。その想像上の薄味の大人にすら、自分がなれる気はしなかった。
 自分は研究者にはなれないなと悟った時のことを思い出した。勇気がない。全然そんな腹を括れる気がしない。愕然とした。
 学生時代も、今の会社でも、物怖じせず歯に衣着せぬ物言いで、舌鋒鋭いキャラクターで通ってきた、通っている。そんな自分の中に腰抜けがいる。勇気が必要だ。勇気を生み出す何かが必要だ。

 筋トレでもしようかな……。

 外で吹く風が窓を揺らした。桜の花も散るだろう。花は散り、葉が芽吹き、やがて夏が来て桜の木にも緑が茂る。

 筋トレの果て、ムキムキになった春子が新鋭のボディビルダーとして世間を席巻するのはしばらく先の桜の季節のことだった……というのは、その夜春子が見た夢の話で、春子は普通に今も社会人してる。
 大人になれたのかどうかは、結局その後も分かっていないらしい。

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