母の水餃子
2020年12月5日夜、風呂から出て来ない母を心配して、父が浴室を覗くと、浴槽の中で母が動かなくなっていた。
警察を呼び、検死の結果、虚血性心不全だったであろうという医師の診断が下された。
享年82歳だった。
母はとても神経が濃やかで、何事につけ敏感な気遣いの人だった。
美しいものが好きで、心豊かな人生に憧れ、手仕事や料理などが得意だった。
手編みで僕のためにカウチンセーターまで編み上げたし、本の製本・装幀を学び、僕や姉の学校時代のノートなどをきれいな一冊の本に仕上げたりもした。
料理は、父の台湾の友人の奥方が主宰する料理教室に通ったため、特に中華が絶品だった。
しかし、晩年はパーキンソン病を患い、体が思うように動かなかったせいもあり、鬱傾向が強くなり、時々、ヒステリーを起こし、周囲の人間を口汚く罵った。
あなたと結婚したために私の人生は不幸だった、と父を非難し、あなたみたいな髪型や服装の人には自分の葬式にも来て欲しくない、と僕を攻撃した。料理が上手く出来なくなっていた母を気遣い、妹である叔母がテイクアウトの鰻の蒲焼きを持参して訪問した際には、鰻なんてものは店で焼き立てを食べなければ美味しいわけがない、こんなものを持って来て、と叔母を罵ったという。
3年ほど前、母は風邪の菌が尿道に入り、その毒素が全身に回り、敗血症を起こした。倒れている母を発見した父が救急車を呼び、緊急入院して、一命を取り留めた。
母は病室で意識を取り戻し、父をなじった。なぜ救急車を呼んだ、なぜそのまま逝かせなかった、自分は死にたかったのに、と何度も繰り返した。
僕がゲイであること、仕事を早期退職し、ふらふらと暮らしていることを憂い、息子をそんなふうにしたのは自分だと、自らを責めた。
僕の顔を見るたび、何かにつけ、苦言を吐いた。
僕が幻冬舎のウェブサイトで「美しい暮らし」という連載をスタートした当初も、あんな女の人みたいな文章を書いて、わざとらしくて、気持ち悪いわ、と批判した。
しかし、僕が「美しい暮らし」を書くことになったのは、母の影響だった。
母は、「婦人の友」や「暮らしの手帖」といった雑誌を愛読していた。子供時代の僕や姉は、母の購読するそういった雑誌をめくり、拾い読みした。
「暮らしの手帖」に「すてきなあなたに」という連載があった。
無署名のおそらく女性と思われる筆者が紡ぐエッセイだった。生活の中の折々の素敵なこと、美しい暮らし方、お洒落、人生などを繊細で洒脱な文章で綴った連載だった。
幻冬舎の編集者・竹村さんと知り合って、いろいろな話をしている時、竹村さんも子供の頃、お母上の購読する「暮らしの手帖」の「すてきなあなたに」を愛読していたということがわかった。
そして、僕と竹村さんは、幻冬舎plusというスペースで「すてきなあなたに」へのオマージュとして「美しい暮らし」の連載を作ることになる。
若干作り込んだ文体で料理や人生のヒントについて考えるシリーズだった。
このシリーズの、昭和の山の手のご婦人の言葉遣いをイメージした僕の文体を、母は罵ったわけである。
僕は悲しく、悔しかった。
母はそうして僕を遠ざけ、僕は母を疎んだ。
母が亡くなり、荼毘に付した一週間後、父から一通のメールを受け取った。
「透は靖子(母の名)から生まれ、靖子の呪縛から離れて、第二の人生が今ようやく始まったところです。これから自由に羽ばたいて欲しい。」
父のメールにはそうあった。
母は几帳面な性格で、自分の得意料理のレシピをこまめにノートに記録しては、食卓にそのノートを広げ、料理をしていた姿が、今でも僕の脳裡に甦る。
母が亡くなり、僕は父に頼んで、母のそのレシピ帳を譲り受けた。
母の得意料理のひとつひとつを再現してみたいと思った。
母のレシピを再現する作業の中で、彼女の思い出やその人生を見つめ直すことが出来たら、と考えた。
火葬場から母の遺骨を自宅に持ち帰り、父と姉と叔母と四人で出前の鮨をつまみながら、母の思い出話をした時、母の得意料理として一番に挙がったのは水餃子だった。
この水餃子のレシピも、母が、父の友人の奥方の教室で学んだものである。
来客の折りなどに、母は盛大にこの水餃子を作り、振る舞った。
<用意するもの>
皮
・小麦粉(中力粉、もしくは強力粉と薄力粉を半々) 300g
・水 3/4 CUP 180cc
具
・豚挽肉 200g
・白菜 300g(葉4枚)
・ニラ 1束
・葱 1/2本(みじん切り)
・生姜 親指大(みじん切り)
・日本酒 T1
・ラード T1+1/2
・ゴマ油 T1
・醤油 T1+1/2
・塩 t1
・水溶き片栗粉(片栗粉T1・水T1) ※母のレシピ帳にはこの記載はないが、母の手伝いをよくしていた叔母はこれを入れると言っていた。
※Tは大匙、tは小匙。
スープ
・ニラ 1束
・醤油 少々
・鶏がらスープの素 適量
<作り方>
・ボウルに小麦粉を入れ、少し温めた水を注ぎ、捏ねて行く。
(母のレシピには水の量は、3/4 CUP(150cc)とあるが、この分量ではぼそぼその皮になってしまう。おそらく母は、最初にこの分量の水を入れ、捏ねながら、少しずつ水を足して、具合を調整したのではないだろうか。僕が試したところでは180ccくらいが適量と思われる。)
・耳たぶくらいの柔らかさの固まりになるまで捏ねる。
(この分量から一体何枚の皮を作るのかの記載が母のノートにはない。僕が試行錯誤した結果、おそらく30枚ほどを作るのが適量なのではないかと思う。)
・具はすべてをよく混ぜる。
・捏ねた小麦粉の固まりを3等分し、それを細長い棒状に伸ばし、端から10個ずつに切り、打ち粉をしながら、1個ずつ麺棒で円形に伸ばし、具を包んで行く。
・大きめの鍋にたっぷりの湯を沸騰させ、餃子を入れ、浮き上がって来たら、茹で上がり。冷めると皮が硬くなってしまうので、一度に全部を茹でるのではなく、食べながら、何回かに分けて、茹でた方がよい。
・餃子を食べ終わったら、鍋の茹で湯の中に醤油と鶏がらスープの素を入れ、味つけをする。最後に刻んだニラを入れて、再度沸騰させると、餃子のだしが出た美味しいスープが出来上がる。この〆のスープが、我が家の家族の好物だった。
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