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フワちゃん論

日本人の重んじる印象を巧みに利用した最強の芸人

フワちゃんについて皆さんは、どのようなイメージを持っているだろうか。
はちゃめちゃ、ギャル、ポップ、元気、クレイジーなど様々な要素を持った女性芸人であることは間違いないだろう。

ではフワちゃんの笑いに関してはどうであろうか、一体どういった時にフワちゃんの笑いを面白いと思うのだろうか。

私の周りのお笑い好きの友達がフワちゃんを論じる際に、予定調和の空気から突拍子もない陽気でクレイジーなことをもたらすからと大方答える。私もこれに関して全面的に同意する。しかしこれほどまでに彼女が人気なのはそれだけではないと私は思っており、そして、これは意外にもこれまで長年お笑いを好きな人々も見落としている斬新な面白さを彼女は確信犯として実行に移し続けているのではないかとここで考えたい。

単刀直入になるべく分かりやすく論じるが、彼女は非常にクールでクレバーだ。彼女はギャルの進化系のような見た目を呈して、デリカシーの無さや品格の無さなどの要素を持ってして、多くの人が思うステレオタイプのクレイジーなキャラクターを用いて、本音を有効に視聴者に伝えるという殆ど完璧な芸という風に私は論じたい。
これまでのギャルやクレイジーな芸能人の弱点とされていた、クレバーな側面を伝えづらいということを、フワちゃんは一人黙々と実行しているように思えるところがあるのだ。
一体何処がクールでクレバーなのかといえば、絶対に本音が叩かれないキャラクターとその見た目から発せられる本音のチョイスは、全うに考えている人間の知的な言動のように思える節があることにある。
それらをSNSなどの普及による影響から炎上やコンプライアンスが定着したテレビ以降の、今の時代に生み出したことに他ならない。

昔から基本的に我々日本人というのは第一に人の印象に対してうるさく、そして今の時代で売れる為には一発目の印象というのは非常に重要なのは言うまでもない。

SNS慣れした反射的に切り捨てる視聴者(視聴者という以前に我々は評論家になっている)は一瞬にしてtwitterやtinderのように指で好きか嫌いかを決められる時代にある。これは無論スマホが誕生する以前には無かった現象である。
そのような現状に若手芸人を問わず、俳優やミュージシャン、YouTuber、ビジネスマンなどが強烈なコンセプトを練り続けている中、フワちゃんは最も巧みにコンセプトを作り上げた一人であると思う。

問題発言をすれば炎上するという非常に窮窟なコンプライアンスがテレビをがんじがらめにしている昨今では、多くの芸人はクールに品よくルールを守り、人を傷つけない範囲で笑いを取るというスタンスをとっている。この傾向は年々増すばかりで、人気芸人の上位には見た目こそヤクザだが、サンドウィッチマン、千鳥、若手芸人では霜降り明星などが挙げられる。彼等は場の空気を読むのが上手く、気の利いた一言をポンと置けるクールな芸人だろう。さりげなく添える本音なども、人々に「確かに。」と言わせるスマートさが彼等が人気の所以でもある。

吉本興業はコンプライアンスに関して芸人的な態度として反抗的な姿勢をたまに見せてはいるが、基本的にはお座敷的なトーク番組ばかりが視聴者に需要がある為、クレイジーなお笑いものは芸人のYouTubeチャンネルや年に2回のAmazonプライムのドキュメンタルなどを筆頭に、どんどん細分化されて小さな枠の中で楽しむという風になってきており、かつてのお笑い好きと呼ばれる人達は基本的にテレビからは離れて、好きな芸人のチャンネルなどを観ることが日に日に増えていると思う。

ここでまず指摘しておかなければならないのは、吉本興業ではコンプライアンスの問題を解決する笑いを未だ見つけられていないという状況であるということだ。松本人志はこの問題に関しては常に敏感な姿勢をテレビなどで公言しており、コンプライアンスに関する発言は普段テレビをあまり見ない私がよく目にする光景でもある程だ。だが基本的に今の視聴者が求めているテレビというのは、安心で人を傷つけないトーク番組だ。かつては松本人志がよくしていて、今では千鳥のノブや麒麟川島などの多くの喩えツッコミが増えてくるのを観ていて、非常に残念ながらその喩えツッコミが1番沸くという飽和状態に行き着いている。打開案としてテレビで出来ないこととしてコンプライアンス完全無視でノブが放尿までしてしまうというAmazonプライム限定でのドキュメンタルを世に投げかけてみたが結局はお笑い好きのコンテンツ消費で終わり、まだテレビのコンプライアンス問題を変えられるまでには至っていないと言える。

やはり今のテレビでは先ほども申した千鳥のノブや麒麟川島などの冷静な喩えツッコミが映える。
そして何よりもそのようなバラエティ番組のトークのお座敷化が顕著なのは芸人以外の女優やタレント、ましてやアナウンサーまでもが同じような口調でトークしてしまうからだ。あの例のお座敷トークのノリ、それがもはや1番自然なのである。これは、国民の話し方を変えたと私はある時点で落ち着いた。

芸人ばかりのトーク番組においても日常的な感覚としても、やはり視聴者が好む番組の空気としては、あの冷静なツッコミに対して、安心感とささやかながらに知性をくすぐるあの笑いに慣れ浸しみ過ぎているような気がする。


そしてそのような冷静なツッコミは私の日常生活においても年々増えてきていてよく遭遇する。飲み会などでは殆どバラエティー番組さながらに、どんな馬鹿でも牽制し合いながらクールにツッコミ、「確かに(笑)」をゲットするというような感じになっているのである。


この現象には私は5年前に気付き、今ではそういうツッコミをする人とは飲みに行かないようにしている。すぐにツッコまないと彼等は間が持たなそうだし。吉本的なボケや時折自分の本音なども言わざる終えない状況が結構な確率でやってくるので非常に窮屈だ。
このような日本の社会となってしまった以上は、バイト先や仕事先を変えても必ず1人はそのようなツッコミに徹する方がいるので、私はもう転職というのを諦めていてる程である。これは冗談であるが。


さて、そのようなお笑いの国民リテラシーの完成とコンプライアンスの牢獄の今の日本テレビ界に表れた新星、しかも女性の、スーパークールクレバーのフワちゃんである。吉本的なノリを一切放棄した完全にストリート(YouTuberだが元々素人芸人)からの叩き上げである。

フワちゃんの笑いにおいて、欠かせないのはまずクレイジーの強さと隠れたというよりクレイジーに包まれて指摘されない本音である。
それが顕著に表れたのが、女性芸人No.1を決める大会「THE W 2021」での生放送中においてである。優勝者が決まる際に男性芸人とお笑い好きの女性タレントなどと一緒に、明るい雰囲気の応援ブースで立ち見で傍聴しており、優勝者を見届けてコメントをするというクライマックスのシーンだ。この時の決勝に出ていていた女性コンビは、かねてよりフワちゃんが推しているラディカルでハイセンスな実力派コンビAマッソで、放送中でも「Aマッソが優勝する」と何度も言っていたので皆が期待しながら優勝を待っているような雰囲気になっていた。そしてもう一方のコンビが、これまでは無名であった、オダウエダというコンビでこちらもインパクトのあるコントで爆笑を誘う芸人である。
この両者どちらかが優勝という緊張感のある空気での発表での出来事であった。

いざ発表の瞬間が訪れ、優勝者はオダウエダだと分かり、場は一瞬にして賑やかな祝福ムードのように一変した。テレビの画面が舞台から移り、立ち見の傍聴席のモニターを観ているフワちゃん達が写され、男性芸人が、うわーという感じでリアクションしている中、女性芸人が「オダウエダさんだ。」と言い、やや戸惑いながらの祝福ムードの中、男性芸人がモニターを観ながら信じられないという風に戸惑うフワちゃんに対して「おい、お前のせいで皆んなAマッソ思うとったやんけ。」とツッコむ、やや笑いが起こって、途端に女性タレントや女性芸人達は祝福ムードに切り替え、すごーいと皆が拍手し始めた矢先に、急に、フワちゃんは豹変したかのように傍聴席を歩き回り顔を真っ赤にして泣いているのである、皆はモニターを眺め感慨深い顔をしながら拍手し、狭い応援ブースは静かなムードとなっている。フワちゃんは泣き止まず、急に跳び跳ね、子供のように地団駄を踏み泣きながら顔を真っ赤にして、「Aマッソが良かったぁぁぁ」と異常な程悔しそうに叫んでいるのである。そして急に泣くのを止めて、「いやーでもむっちゃ面白かった、これはもう納得でしたすごく。」と殆ど説得力の欠いた言い分で番組は終わった。

これを観た視聴者は驚き、生放送でそんな正直なことを言ってしまったフワちゃんに対してどのように思っただろうか。まず、私が思うのは視聴者の方がそのスタジオの場の空気を読んでいたのではないだろうか。えっ、これ大丈夫?みたいに、まず祝福ムードを最優先にしなければならないというのと同時にAマッソではないという驚きとフワちゃんがヤバいというのが一斉に襲ってきており、思考が追いついていないように思われる。

私はとんでもないものを観たと思った。コンプライアンスというよりアンフェアなスタンスで平気で叫ぶフワちゃんのその一瞬の出来事。
最後は、「あれまだ撮ってるの?」と気付いたフワちゃんはすぐに泣くのを止めてテレビモードに切り替え視聴者は少し安心したのではないだろうか。

ここにフワちゃんの笑いの全てが詰まっていると思う。まずクレイジー、そして本音を惜しげもなく正直に言ってしまう。でも何故かフワちゃんなら言いかねないと半ば許している視聴者、その反面番組の空気に支配され、ドキドキしている視聴者その両者が我々の心を真っ二つにする。
スタジオの空気だけでなく視聴者もそのヤバさに支配されたに違いないと思う。

時間が経ち、この一瞬の出来事から熱りが冷め、冷静になって振り返ってみるが、あのテレビの前で、普通あんな真剣に泣くのだろうかと問いたい。もちろん本心は悔しかったに違いないのだが、あそこまで泣く意味は殆どないのである。だが、私はあのガチな泣き顔、慌ててテレビモードに切り替えるということも自然なアクシデントのように見える光景も、全て計画通りなのではないかと仮説を立てたい。
フワちゃんの炎上慣れというよりも、視聴者の炎上スルーが当たり前のようなキャラクターであるフワちゃんの成せる技だと私は思う。
何故ならフワちゃんはこれまでのキャリアの中で自らが引き起こす事故やアクシデントの回数は圧倒的で、いわば事故慣れした芸人でもあるとは言えないだろうか。もはやクールな態度を取れないフワちゃんは誰よりも惜しげもなくクレイジーな態度で好き勝手に本音を漏らす。しかしそのクレイジーな態度は炎上のホットさを上回る衝撃を与えてくれる為、炎上は尾を引かずに、キャラには傷が付かず、フレッシュさを保ったままクレイジーであり続けることができる。

彼女はそれを確信犯的に笑いというツールを使って、今の日本の社会にラディカルな本音を発信できる殆ど唯一の自由を得たキャラクターではないだろうか。

中国哲学科のクレバーな顔を隠しどんな芸能人をも上回るクールな思考を持ってして、あのようなクレイジーな行為を仕掛け、キャラクターのポップなクレイジーさと本音という本当の爆弾を今のテレビに巧みにかつ即興的に作り上げているという風に私は考える。

彼女は気付かれるかというギリギリのラインで我々を試しているのではないだろうか。
というよりもこんなキャラクターでなければ逆に本音が言いづらいという今の時代への挑戦なのではないかとも思える。

私の仮説が正しければであるが、これはビートたけしのあの破壊的な笑いに匹敵する。かつてビートたけしは、「赤信号皆んなで渡れば怖くない。」という当時ではセンセーショナルなキャッチコピーを謳い、時代を席巻した。

昔の時代と比べ、今の時代は複雑ではあるかもしれないが、その複雑さというものを吹き飛ばしてしまうあの強烈なパワーと本音というリアルな笑いを巻き起こしてしまうフワちゃんというのは一体何なのだろうか。

フワちゃんはまだまだ企んでいると思う。

まだ、あれもこれもダメゼッタイではなかった、あの頃のテレビを一番に夢見て、今の時代に本当に必要なお笑いというものを作っているのは、吉本興業でも松本人志でもなく、フワちゃんなのではないだろうか。


エッセイスト 秋野 藤吾

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