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LanLanRu映画紀行|The Sound of Music

舞台:1930年代 /  オーストリア

「オクラホマ!」「回転木馬」「王様と私」など、数々の名作ミュージカルを生み出してきたロジャース&ハマースタイン。彼らによって書かれた最後の作品が「サウンド・オブ・ミュージック」だ。
第二次世界大戦直前、ナチス占領下のオーストリアからアメリカへ亡命したトラップー家の物語。1965年にジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマーでミュージカル映画化されると、アカデミー賞の5部門を受賞して、世界的な大ヒットになった。


この映画、本当に素晴らしい作品で、誰がなんといってもハリウッドの最高傑作だ。アメリカを飛び出し、オーストリアで行ったロケ撮影。雄大なアルプスの山々や風光明媚なザルツブルクの街並みに響く、ジュリー・アンドリュースの歌声の美しさときたら・・・・!
家庭教師としてやってきたマリアによって再び家族としての姿を取り戻す、トラップ家の心温まるストーリーが、美しい音楽と共に綴られている。

トラップ・ファミリー合唱団の実話に基づくミュージカル映画

1965年公開/ロバート・ワイズ監督作品
実際の史実と異なる点は多々あるが、「サウンド・オブ・ミュージック」はトラップ・ファミリー合唱団の実話を基にして作られている。トラップ家に家庭教師としてやってきた修道女見習いのマリア、後に子供たちの父親のゲオルクと結婚してマリア・フォン・トラップとなるが、彼女による自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』が下敷きだ。

ゲオルク・フォン・トラップ大佐と、その子供たちー ルーペルト、アガーテ、マリア、ヴェルナー、へートヴィック、ヨハンナ、マルティナ、そしてゲオルクと結婚したマリアとその子供のローズマリー、エレノーレ、ヨハネス。彼らは合唱団を結成して、世界中でコンサートを行った。当時、家族合唱団は珍しかったらしく、その歌声はもちろん、親しみやすさが人気を博した。有名な音楽一家である。

合唱団を結成のきっかけとなった金融恐慌

だが、トラップ家といえば、もともとオーストリアの名誉ある男爵家だ。ゲオルク・フォン・トラップ大佐の父の代より、海軍での功績によって名をあげた。平和な世ならば、彼らはおそらくショービジネスの世界に入ることはなかっただろう。
そんなトラップ家が合唱団を結成したきっかけとなったのは、オーストリアを襲った金融恐慌だった。1933年、メインバンクが破産してしまい、トラップ家は財産をすべてなくしてしまった。マリアは屋敷の空いている部屋を人に貸すことにしたが、そうした下宿人の一人に、カトリック神父のフランツ・ヴァスナーがいた。彼はザルツブルクでグレゴリオ聖歌を教えていた音楽家だったが、子供たちの合唱を聞いて、その可能性に驚いたらしい。もともと趣味として音楽を愛好していたトラップ一家だったが、フランツ・ヴァスナーの指導の下、本格的に一家は音楽家への道を歩き始めることになる。コンクールなどにも出場するようになり、1937年にはトラップ一家聖歌隊として、はじめてヨーロッパ演奏旅行を行った。

ナチの脅威から逃れてアメリカへと渡ったトラップ一家

もう一つ、一家の運命を大きく変えた出来事がある。
1938年3月11日、オーストリアはドイツに併合され、ナチの軍隊がオーストリアを占領した。「ゲルマン民族=ドイツ人の統一」を掲げたヒトラーの、力にまかせた暴挙である。

〈オーストリア併合の経緯〉
ドイツでヒトラーが総統に就任し、第三帝国が樹立されると、隣国オーストリアでもナチスの影響が強まっていった。これに対して、当時のオーストリア首相、ドルフースはナチス勢力の排除を画策。内戦状態に陥りながらも親ナチスの社会民主党の弾圧に成功し、独裁体制(オーストロ=ファシズム)を敷いた。
しかし、独裁政権が誕生したのもつかの間、ドルフースはナチス党員に暗殺されてしまう。代わってシューシュニクが首相となったが、ヒトラーは徐々に要求を強めていき、1938年にはとうとうオーストリア侵攻を開始。シューシュニクは抵抗を諦め辞任した。こうして第一共和国は消滅し、オーストリアは第二次世界大戦終結までの間、しばらく歴史からその名を消すことになったのだった。

オーストリア併合はその当時、国民投票でドイツ・オーストリア国民の99%の賛成を得ているので、侵略行為とはいえ、大多数に支持されていたようだ。
だが「サウンド・オブ・ミュージック」を見て知った。ナチの台頭に眉をひそめた人もやはりいたのだ。映画の中でトラップ大佐がオーストリアについて語っている言葉。

「懐かしい国だ。遠からず滅びようとしている。」

オーストリアを愛するトラップ大佐は、家にナチの旗を掲げることを断固拒否した。また、潜水艦の指揮をとってほしいという、ナチの要請も断固拒否した。さらに、トラップ・ファミリー聖歌隊がヒトラーの誕生パーティーで歌うことも拒否した。当然ナチから危険視されるようになり、ついに一家はオーストリアを脱出することを決意する。

1938年の夏、一家はスーツケースひとつとリュックサック一つに荷物をつめて家を出た。映画では自由への希望を予感させてアルプス越えのシーンで終わる。だが、トラップ・ファミリー合唱団にとっては、ここからが本当の始まりだったかもしれない。

オーストリアを脱出したトラップ一家は、北イタリアのサン・ジョルジョを経て、アメリカへ。ニューヨークに着いた時に一家が持っていたのは、たった4ドル。マリアは新しい命を宿しての旅だった。
オーストリアにいたころから、アメリカ合衆国のエージェントに公演依頼を受けていたこともあり、トラップ一家はアメリカでも各地でコンサートを行った。1940年からは大手プロダクションが家族のプロデュースを引き受けるようになる。その後、15年ほど演奏旅行を行いながら、バーモント州のストウで時給自足の生活を行っていたが、1956年の1月に、ニューハンプシャーのコンコードで開かれたコンサートを最後に解散した。
アメリカでのトラップ一家は、「続・菩提樹」というドイツ映画に描かれているので、いつかそちらで詳しく紹介できればと思う。

さいごに

「ジャズ・シンガー」以来、ハリウッドは数多くのミュージカル映画を作ってきた。けれども、この「サウンド・オブ・ミュージック」ほど、時代を超えて、多くの人に愛されてきたミュージカル映画を私は知らない。
もちろんミュージカルとしても素晴らしいと思う。ロジャースとハマースタインの曲はどれも名曲だ。なかでも「ドレミの歌」「エーデルワイス」など、小学校の朝の歌で何度も歌ったのを思い出す。大好きな曲だ。
だが、これほどまでの感動は、きっと映画ならではこそ。アルプスやザルツブルクで撮影されたシーンの一つ一つの美しいこと。また、ジュリー・アンドリュースと子供たちが、その中でなんて生き生きと歌い、駆け回っていることだろう。「エーデルワイス」を歌いながら声をつまらせるクリストファー・プラマーも感動的。いつまでも色褪せることのない、名作映画である。

補足

■ゲオルク・フォン・トラップ大佐について
ゲオルク・フォン・トラップ大佐は第一次世界大戦で活躍したオーストリア海軍の国民的英雄だった。潜水艦による戦闘の効果に注目して、当時まだ実験段階だった潜水艦に乗り組み、華々しい戦果をあげてマリア・テレジア十字勲章を授与されている。映画では厳格な父親として描かれているが、実際は家庭的な人間だったようだ。子供たちにはじめの歌の手ほどきをしたのも、マリアではなく彼だった。

■ザルツブルクのお屋敷
トラップ一家の暮らしたザルツブルクのお屋敷は、戦時中、皮肉にもナチのハインリヒ・ヒムラーの司令本部になっていたらしい。ヒムラーはナチ親衛隊のトップだが、ゲシュタポの長官も兼任してホロコーストを実行した人物である。

『The Sound of Music』関連作品
・菩提樹(西ドイツ映画 ,1956年)
・続・菩提樹(西ドイツ映画 ,1958年)
・トラップ一家物語(日本アニメーション,1991年)


〈参考文献〉
・『サウンド・オブ・ミュージックの世界 トラップ一家の歩んだ道』
(株式会社 求龍堂,1995)
  ウィリアム・T・アンダーソン著/谷口由美子訳・文


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