内と外に、ファンを@トグルという物語/エピソード5
※前回のエピソードはコチラ
S:――伊藤さんが全体性を大切にしたいのは、なぜですか?
伊藤:なぜなんだろう…それも好奇心ですかね。全体を知ってから「これは、こうである」と説明したいのかもしれません。
S:伊藤さんが好奇心から新しい領域を学ぶとき、何をするんですか?
伊藤:学校に通ったり本を読んだりですね。
S:学校とは?
伊藤:たとえば、大学の社会人向けプログラムです。
S:以前(エピソード1)に話していた?
伊藤:そうです。東大のエグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)です。
S:どんなことを学んだんですか?
伊藤:うーん……。一つに特化しません。経済学の修士であるMBAと違うポジションをとっています。どう表現したらいいかな。平たくいえば一般教養ですかね。
S:一般教養?
伊藤:いや、そんな単純な話ではないか。東大のEMPでは、とても貴重な体験をしました。東大をはじめ、大学の社会人向けのプログラムは、いつも開眼させられるというか、学びにあふれた時間でした。その内容を『教養』と表現するには稚拙で、適切ではないかもしれません。ということを話しながら思いました。
S:単なる知識、経営に活かせる何かと呼ぶのは、不適切な気がする?
伊藤:そうですね。大学などの公的な機関で研究に向う人たちを称して『アカデミア』と呼びますが、彼らが何十年という年月をかけて明らかにしてきた法則や原理、現象を私たちは、半年などの短期間に、体系立てて教わることも学ぶことも、できるわけじゃないですか。これは、スゴイことですよ。その価値に学生の頃は気づきませんでしたが、ビジネスを経験して改めて思うんですよ。人間が本来、学ぶべきことでもあるというか――。
S:――人間を『束縛』から解放する知識のことをリベラルアーツと呼びます。その歴史は古く、誕生したのは古代ギリシャの時代です*1。伊藤さんにとって、そうした、人生における本質的な知識を学ぶことができた時間だったと。社会人向けプログラムへの伊藤さんの思いは、そういうものですか?
伊藤:はい。もっと早くに、知りたかったとも思いますね。話していて浮かんだんですが、私が体験した「もっと早くに知りたかった」に出合う人を増やしたいのかもしれません。
S:そういう体験をビジネスを通じて、伊藤さんなりに提供したい?
伊藤:冒頭(エピソード3)の目覚めの話にも、つながります。話を「緩やかな共同体を作りたい」に戻すと、そのテーマはこうです。経営学にしても、脈々と語り継がれ、積み重ねられた実践があっての現在です。それを私が、どうこうするというのは、率直にいっておこがましいと感じます。そうではなく、私が、自分の仕事から得た経験、そこから獲得した知恵を私たちのようなビジネスパーソンへ向けて、事業という、”コンテンツ”を通じて提供するというのは、どうだろうということです。それなら、私のビジネス経験も少しは役に立つのではないかと。
S:それを「もっと早くに知りたかった」と思うであろう人へ贈る的な? たとえば、既存のビジネスのやりかたや、いまの自分の仕事に行き詰りを感じるビジネスパーソンへ向けて。
伊藤:それに近いですね。
S:それは思いのほか、伊藤さんの特徴を現したテーマかもしれません。話を聞いて、私も思いついたことがあります。話題を発展せてもよいですか?
伊藤:どうぞ。
S:「伊藤さんのビジネス哲学や企業文化への考えを情報発信するなら、そのテーマもいいですね」ということです。おっしゃるように、アカデミアの英知や経営学のエッセンスを伊藤さんが、どうこうするというのは、それを長年にわたり研究・実践してきた人たちや、その分野そのものへ敬意を欠く態度かも、しれません。だからといって、伊藤さんが四度にわたる起業を通じて得てきたビジネスでの経験が、価値を失うわけではない。連続企業家というキャッチーなネーミングは、その、”響き”以上の価値があるはずです。経験者が少ないからですよね。四度起業することは、起業家のなかでも、限られた人しか味わったことがありません。投資家とも違います。そこに伊藤嘉盛という個人の特性を合わせるなら、必ず、見たことがない、これまでにないコンテンツができます。私が、そう言い切るのは、それを私自身が見たいと思うから。見たことがないから。「自分が見たいものを作る」というのは、私自身の行動源泉の一つです。そうしたコンテンツを求めていたり、必要としていたりする人は私以外に必ずいる。いるだけではなく、それは伊藤さんへの誤解や勘違いを取り除く材料にもなる。その対象は社内メンバーだけでなく、社外の人たちも含みます。
伊藤:なるほど、アリかもしれませんね。
S:ただし、Youtubeなどのプラットフォームによる動画コンテンツだと――。
伊藤:――埋もれちゃいそうですよね。
S:そうなんです。そもそも、伊藤さんと対話を重ねてきて私が感じるのは、ユーチューバーのような肩書というか、大衆ウケするような見られかたが伊藤さんの芯を食ってない気がするということです。
伊藤:私はマイノリティですしね笑。
S:それもありますが、私からするとポップというか、そういうキャッチーな一面は、伊藤さんの全体の一部に過ぎないのではないかと感じます。一部に光を当てすぎると、ことの本質を見失うというか。複雑なのは「仮に一部に光を当てすぎたとしても、それは決して偽りの姿ではない」ということです。
S:伊藤さんを知らない人からすると、その『ポップというか、キャッチーな面』は、とっつきやすい。理解するのに苦労しない、わかりやすい、”一面”なのかなあと。私が冗談でいう、資本主義の化身や権化といった伊藤さんの見えかたにも同じことがいえます。伊藤さんの魅力というか、核というか芯みたいな部分は『わかりにくさ』のなかに潜んでいて。それ自体が魅力である、ともいえます。パッと見ただけでは伝わりづらい。伊藤さんという食材があるなら、その一番おいしい、”うま味”は、キャッチーなキャラクターの陰に隠れ、見えにくいところです。深みがあって。でもそれは、ハイコンテクストなコミュニケーションだと、”うま味”の一部だけしか相手に伝わりません。
S:伊藤さんの発言や考えの前提となる、膨大な脳内文脈が相手に共有されている場合に限り、伊藤さんの一番おいしいところを相手は味わうことができる。味わって、はじめて伊藤嘉盛という人物が100パーセント伝わるというか。こうして言語化して気づいたんですが、それをトグルのメンバーに味わってほしいと、私は思っていたのかもしれません。
伊藤:ありがとうございます。あとは、なんだろうな。ダイアログ、対話をひたすら記録していくのも、アリなのかなと思っていて。社内の打ち合わせにしても、ビジネスというか、仕事をよりよくするための、私たちなりの知恵が含まれていることもあるじゃないですか。それをキュレーションというか、少しずつ蓄積して、一つのコンテンツ集にするとか。そういうのも役に立ちそうな気がしますよね。
S:トグルの出来事を記録したコンテンツですか。
伊藤:そういう意味だと、社内報のようなコンテンツを作ってみたら面白いかも。
S:それをオープンにすれば社外へも発信できそうですね。
伊藤:仕事に活かせるだけでなく、マイノリティがマジョリティの世界でサバイブするための知恵とか。そうした情報が散りばめられたコンテンツ、メディアなどです。
S:失敗や成功を含め、トグルが実践したことが文字に残れば、学びになりそうですね。以前の飛び込み営業の定説の話(エピソード2参照)のように「そんなの、できっこない」が覆ったとき、人や組織に何が起こるのか。「やっぱりできなかった」なら、その次の打ち手を何にするか。そういうカルチャーが、トグルにあることを社外の人が知るきっかけにもなりそう。
伊藤:こういう会話をコンテンツにして「なるほど、そういう意図や戦略で、この打ち手を事業としてやろうとしているんだ」ということが文字に残り、社内の人に伝わるようにすると。社外の人へは「こう考えて事業をする人もいるんだ」という面白さが、あればいいなと思います。それが社外の人の心に少しずつ刺さり、ファンになっていく設計というか。
S:そうしてファンになってくれた人の心に刺さった何かは、経路をたどると伊藤さんが発端です。伊藤さんから出てきた考えやアイデアなので、トグルの核への共感であるとも考えることができます。『緩やかな共同体』を視野に入れた取り組みであるともいえますね。誰かが仮に、ファンの一人として新しい事業にかかわる仲間になったとき、緩やかな共同体の一員になったと考えるわけです。そのとき、その人の背景にある会社や仕事への思い、人生哲学には、トグルや伊藤さんと通じ合う何かがありそうです。
S:逆もあると思います。「トグルのその方針は、起業当初の思いに照らし合わせて間違っていると思う」そういう声が社内から湧くとか。これは社内にトグルのファンがいる証だと思うんです。人や経営陣が上司なのではなく、カルチャーが上司になるというか。この在りかたは、以前に伊藤さんが話していた『社長がいないと回らない事業は認められない』『永久機関への憧れ』にも近づく、一つであるとも感じます。
伊藤:そういう変遷が会社の歴史や文化になるので、事実として残したいですね。それらをまとめ、本にしたら壮大なカルチャーブックにもなりそう。やはり企業文化は重要ですね。
伊藤:思うんですが、すでに日本では定年まで一つの会社で働くという価値観も壊れてきているじゃないですか。2021年の統計では、働く人の約40パーセントが非正規雇用です*2。雇用者にとっても被雇用者にとっても、入れ替わりが起ることなく人が会社で働き続け、その状態が担保されていた時代は過ぎ去りました。時代は変わって、いまは流動性が高い時代です。そういう時代において、会社の文化面への取り組み、カルチャー醸成みたいなことをしなければ、人が組織に定着しないというか――。
(つづく/エピソード6へ)
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【参照情報一覧】
*1◆桜美林大学HPより【リベラルアーツとは】
*2◆厚生労働省HPより【「非正規雇用」の現状と課題】