「名前」というものはいつからあるか
固有名詞としての名前に限らずおよそ「名前」というものはいつ誕生したのだろうかと考えてみる。
人間が誕生してからだというのが普通の考え方だろうけど、そうであろうか、というのがこの度の思い付きの主題である。
ノーベル賞で話題のカタリン・カリコという愛嬌のある名前の化学者が基礎を築いたという、m RNA(メッセンジャーRNA)について考えていたら、このRNAとかDNAというものにある、特定の塩基配列とは、タンパク質の「名前」なのではないか、だとすると、「名前」は人間どころか、生命の誕生、いやそれ以前からある、と言っていいのではないかという気がしたのである。
これは特定のタンパク質を作る指令になるという意味でそのタンパク質の「名前」でもあるし、生体内においてそこから必然的に起きる一連の現象を考えると、場合によっては、免疫の名前、または病気の名前という解釈の出来る場合もあるかもしれない。
とにかく複雑な脳や意識を持つ人間がそこにいなくても、それを読み、意味が受け取れ、伝達が出来ていると云う働きが為されているわけで、ここには言語と言えるものがあり、「名前」があると言うことは出来るのではないか。
してみると、カリコ博士ら生化学者が取り組んでいるのは、文法も語彙も分からない異文化の言語の解読のようでもあり、『ターヘル・アナトミア』を著した杉田玄白、前野良沢らの行為なども想起するのだった。