死を意識して、生きようと思ったりなんだり。
死にたいです。生きているだけなのに、自己肯定感や自尊心をゴリゴリに削られています。生きているだけだからなのかな。
先日部屋の壁を塗りました。私は立って見える範囲しか気にしない人間なので、天井付近やストーブの外が多少汚くても気にならないんです。むしろ、その取れない汚れに意味をつけるのが楽しいのです。
そして今日(2024-06-24)はベッドを組み立てました。
1人でもちゃんと組めて、嬉しいなって、かわいいなって母親に言いました。見て、作れたよ、って。
ここ最近親との関係は良好で、つい、忘れて言ってしまったのです。きっと、無償の愛を分け与えてもらえるだろうと思って。
出てきたのは侮蔑、後悔。あなたの部屋ではないのに、まるで自分事かのように愚痴愚痴と。
あなたの感性はどうかしていて、私が正しいのだ、と。
簡潔に言うと死にたくなりました。最近、子どものために無償の愛を与える親を見ていてばかりで、自分のところもそうだと錯覚していました。
3時間かけて塗った壁。1時間かけて組み立てたベッド。ガラガラと音を立てて希望は私の前から崩れ落ちました。親は、子供を肯定できる最初の大人なんだと、そんな幻想を抱いていました。
豆腐メンタルで崩れる人間が、この程度を耐えられる訳がないです。泣いて、泣いて、泣いて。
くだらないことをいつまでも引っ張っています。わたしは、心を削られたと思っています。生きることは、難儀だな。
で、死のうと思いました。だけど、生きる理由が有り過ぎた。せっかく塗った壁がおじゃんになるぞ。ベッドが妹に使われるぞ。こんなことで死んで、バカにされるぞ。まだ、映画を観ていないぞ。漫画を読んでいないぞ。
前向きに生きていた証拠が、わたしを繋ぎ止めている。生きたいわけじゃない。生きなきゃいけないんだな。
そう思って立ち止まった20:54。
こうして文章に起こすと、本当にくだらないと思う。でも、この「こんなこと」でわたしは死にたくなるんだ。知ってた。だから、頑張っているんだ。
死にたいと思うことで生きることができている。最悪なスパイラルだけど、今日も命はあるからさ。