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軸となる「物語」を探そう! 「まんがでわかる」系コミカライズの作り方②


さて、あなたが例えばもし「コーランを漫画にしてくれ」などという無茶なお願いをされたら、まず何から始めますか?

そう、もちろんコーランにまつわる資料の読み込みから始めるでしょうね。

そうしてある程度コーランについて、最初よりは知識がついてきたとします。興味も湧いてきた。
ではそれをどうやって「漫画」の形にしていけば良いでしょうか?


僕の場合は、漫画にする時、必ず「物語」の形にしていく、というやり方で一貫しています。


しかしこれは決して「まんがでわかる」系作品の絶対条件というわけではなく、例えば監修者などのわかりやすい解説ページとともにそれを噛み砕いたエッセイ漫画を添える、というタイプの作品もありますね。

そういう作品はおそらく編集サイドが完成作品のイメージを強く持っていて作品作りの主導権を握り、漫画はその作品の部品(あるいは素材)として存在しているのでしょう。
そのような作品の場合、漫画家が悩むのは、完成された文章をわかりやすく漫画にするにはどうしたら良いか、というところで悩むはずなので、これは通常のコミカライズの作り方に近くなってくるはずです。


しかし僕が手がけた作品は全て題材を丸投げされてきたものを僕が調理しなければならないので、
(何度も言いますが)通常のコミカライズの手法は使えません。


そのために僕の作品ではどんな題材でもあえて無理やりにでも「物語」の形にすることが必須条件なのです。


作品を「物語仕立て」にすることで一つの「軸」を作り、読み物としての統一感を生み出すとともに、読み手が興味を持って本を読み進める牽引力も生まれるわけですね。


そして膨大な資料から、限られたページの中に絶対に描くべき情報は一体どれで、そうでない情報はどれかを判別する基準としての機能も「物語」にはあるのです。

またこのように「物語」の構成を取ると、ある物事を誰かに伝える時は「物語」のように語って聞かせた方が伝わりやすいということもありますよね。



しかしそれより何より、漫画を描く僕自身が、そうしないと描き続けられない、という事情もとても大きい、ということがあります。


前にも書きましたが、発注されてくる題材は、そもそも僕自身にとっても未知の分野です。
漫画を描きながら学び、学んだらまた漫画を描いて…を繰り返すことになるので、描いている漫画そのものがツマラナイとただひたすら辛い苦行を延々続けることになってしまうのです。

しかし「物語」の構成にしておけば、さあこのお話は次は一体どうなっていくんだろう、と自分でもワクワクしながら原稿に向かうことができるわけです。


僕が作る「まんがでわかる」系作品が、半ば強引でも全て「物語仕立て」になっている理由がこれでおわかりいただけたでしょうか?



さて、ではその肝心の「物語」はいったいどうやって作っていけば良いでしょう。

そもそも「物語」などあるのでしょうか?

大丈夫です。どんな題材にも必ず「物語」は存在しています!



以前「まんがで読破 地獄の季節」の作り方を書いた時にも述べましたが、原作(や題材)に物語がない場合、それらにまつわる周辺資料の中から、「物語」を「探し出す」必要があります。

「地獄の季節」の時は、ランボーの人生、とりわけ青春時代を切り取って物語にしました。


「まんがで読破 コーラン」は、ムハンマドの生涯を物語の大きな「軸」として、さらに解説部分にオリジナルキャラクターである老人と精霊ジンの不思議な旅をサブの「軸」として配置しました(なぜこの構成になったかはいずれメイキングで詳しく書いていきます)。




これらの作品は、ランボーやムハンマドがそれこそドラマチックな人生だったおかげで、この構成が可能だったわけです。

しかし経済学者であるケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」を扱った時はそう簡単ではありませんでした。

なにしろ題材となったのは「経済理論」です。

ムハンマドやランボーは彼らの人生と題材が大きく関連しているので、彼らの人生の物語を「軸」として構成することが可能だったわけですが、経済理論はケインズの人生を描くこととその理論を語ることに大きな関連は見出せないわけです。

ケインズがどれほどドラマチックな人生だったとしても、難解な理論を理解し描く助けには全くなりません。

ではこの題材のどこから僕は「物語」を見つけ出したのでしょうか?


答えは「理論そのもの」からです。


この作品を作った時の四苦八苦ぶりもいずれメイキングとして書くつもりですので、それらの細かな苦労譚には今は触れませんが、とにかくこの理論はつまりこういうことなのか、と得心が行った時、ついにこの作品の「物語」を発見することができたのです。

つまりケインズの理論とは「不況という大犯罪をもたらす真犯人を暴き出すミステリー」なのだ、と気づいたからです。

理論そのものがドラマチックだったわけですね。


僕は経済学はからきしですが、ミステリーは大好きです。
なので、この理論を描くのは「大不況を解決するミステリー仕立ての物語」ならできる、とやっとの事で確信できた時、初めてプロットが動き始めたのでした。


それでは「プーチン」を描いた時はどうだったでしょうか。

この場合、一人の人物を描くわけだからそのままその人生を描けばいい、という簡単な話ではありません。
プーチンが何十年前、あるいは何百年も前に没した歴史的人物ならば確かにそういったいわゆる「偉人伝」」として描くことが可能だったでしょうが、しかし彼は僕らと同時代を生きる現役のロシア大統領な訳です。


現在進行形で政治状況を動かす人物を漫画にするということは、読者が求めるのは彼の「物語」ではなく、「情報」としてのプーチンのはずです。


だとすれば彼を主人公にする構成は取れません。
プーチンが主人公の構成だと、やはりその人生をドラマチックに描くことになるだろうし(実際彼の半生はとてもドラマチックです)、どうしてもプーチンをかっこよく、ヒーローとして描いてしまうでしょう。

しかしそれでは血湧き肉躍る「英雄物語」にできたとしても読者の求める「情報」は提供できない。


そこで僕は、プーチンをあくまでも客観的な「対象」として描くという構成にし、その「対象」をジャーナリストが取材していく、というスタイルにしたわけです。


ですから、この本に関しては「物語」というほどのものはありませんね。二人のジャーナリストがロシアなどを巡ってプーチンにゆかりのある人々に「会って話を聞いて帰ってくる」というだけの筋です。

最初に構成した時、あまりにドラマがない構成なので多少の不安もあって僕としてはかなりチャレンジングな作品だったのですが、描いてみると案外スラスラと、しかも楽しみながら制作できたのが自分でも意外でした。読んでいただいた方はいかがだったでしょうか。




僕はこのように「まんがでわかる」系作品の「物語」を資料から探し出して作っているわけですが、どの作品も題材が違うので、スタート時はいつも不安でいっぱいです。何しろ前回の手法を全てリセットしなければならないわけですから。

しかしそれらの題材に逃げずに正面からぶつかると、不思議と必ず魅力的な本や情報を見つけることができて、そこから「ああ、ここに物語があった!」と突破口が開くことが多いのです。

どんな題材でも必ず「物語」は存在するのです。


僕はそれぞれの題材を発注される時は、全く興味を持たない分野ばかりで、最初はどの題材もいやいや始めるのに、描きながら学べてそして終わる頃にはその分野が大好きになっていることがほとんどです。

もちろん専門的に日々研究している人々の足元にも及ばないまさに「にわか」なのですが、それまで興味のなかったニュースや情報も、少しはある種の親近感を抱いて見ることができています。それがすごく不思議だし、ありがたいことだなあ。読者もそんな風に感じていただけると、これほど幸せなことはありません。


どの題材もおそらく興味をもつ層が違うはずなので、なかなか全部読んでみようと思う人はいないと思うのですが、どの本も楽しく読めるように作ったし、それはきっと達成されているはずです!

もしこの記事を読んで興味を持って僕が描いた作品を読んでいただけるとすごく嬉しいなあと思います。




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トーエ・シンメ
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