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90. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」
第18節「東映子供向け作品の系譜 前編」
① 東映時代劇娯楽版からテレビ時代劇特別娯楽版へ
〇 東映娯楽版時代劇の大ヒット
多額の負債から始まった東映。大躍進を遂げる一つの契機となったのは、1954年正月『真田十勇士』からスタートした子供向け東映娯楽版シリーズの大成功でした。
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牧野省三の次男マキノ光雄が京都撮影所(京撮)にて取り組んだこのシリーズの中で、子供たちに大人気のNHK連続ラジオドラマ『新諸国物語』を映画化した『笛吹童子』『紅孔雀』が大ヒットします。
東映娯楽版時代劇は、1950年代半ばから後半にかけて、中村錦之助、東千代之助、大友柳太朗に新たなスター伏見扇太郎を加えた四人のアイドルスターを中心に、子供たちを魅了しました。
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〇 人気テレビ作品のリメイク映画成功
子供たちのアイドル中村錦之助が、大物俳優に成長していった1950年代末、子供たちの興味はテレビドラマに向かいます。
1958年2月、宣広社が制作し、KRテレビ(現TBS)で放送された川内康範原作大瀬康一主演『月光仮面』が子供たちの人気を集め、大きな話題を呼びました。
早速、東映は、大村文武主演にて東京撮影所(東撮)で『月光仮面』を映画化、8月に公開すると、ヒット、シリーズ化します。子供向けテレビ作品の映画化が興行価値を生むことを知りました。
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〇 人気テレビ作品を劇場上映した特別娯楽版のシリーズ化
1958年、日本教育テレビ(NET)開局に備えて設立した(株)東映テレビ・プロダクションは、京撮にて、目黒ユウキ主演『風小僧』を制作。1958年12月に西日本放送(RNC)にて放映を開始しました。翌年2月からは、満を持して開局したNETで全国ネットで放映され(1959/2/3~12/29)、大きな人気を集めます。
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東映社長大川博は、他の映画会社が2本立て興行に参入してきたことに対抗し、テレビ放映した『風小僧』を2話まとめて1作品として再編集し劇場用に拡大、特別娯楽版と名付けて1959年4月28日から公開しました。テレビがまだ普及途上ということもあって子供連れの家族が数多く劇場に集まり、シリーズ上映して行きます。これによって、これまで他社作品との併映館が東映の専門館に転化するなど第二東映への足掛かりとなりました。また、テレビ番組の宣伝にもつながり、『風小僧』は11か月継続します。
一方、東撮では、『月光仮面』の原作者川内康範に新たな原作を依頼し、子供向けSF特撮ヒーロー現代劇、波島進主演『七色仮面』を制作、1959年6月からNET系で放映を開始しました。
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この作品も、子供たちの話題となり、特別娯楽版として公開すると手堅くヒット。シリーズ化します。
さらに京撮では『風小僧』の後番組、翌1960年1月から放映が始まった山城新伍主演『白馬童子』も高視聴率を獲得しました。同じように特別娯楽版として4話分を2回に分けて公開しましたが、同じ作品が何週ににもわたって続くことに対して劇場から反対の意見が出たため、これをもって特別娯楽版は終了します。
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大川は、特別娯楽版を通じ、追加制作はなしでわずかな経費のみで劇場公開できるテレビ人気作品が、予算をかけた作品2本立て以上にヒットすることがわかり、テレビ人気作品の劇場公開を積極的に展開して行きます。
〇 京撮、テレビ時代劇一時撤退
その中で、従来の東映テレビ・プロは第二東映に改編され、1959年11月、東撮に新たに同じ名称の東映テレビ・プロダクションが設立されました。そして、そこで時代劇も含め東映テレビ作品の制作をすべて行うことになり、『白馬童子』も第2部からは東撮テレビプロにて制作されます。
それによって、京撮での子供向け作品は劇場用オリジナル作品に限定されました。
② 東映子供向けSF特撮作品人気上昇、アニメともども映画からテレビへシフト
〇 SF特撮怪獣映画ブーム
1954年に特撮の神様円谷英二が主導し、映画史に残るSF特撮映画『ゴジラ』を製作した東宝は、1961年に『モスラ』、翌1962年の『キングコング対ゴジラ』が大ヒット。1964年、キングギドラの登場などで1960年代に特撮怪獣映画ブームを興します。
〇 東映テレビ特撮とテレビアニメの時代
一方、新生東映テレビ・プロでは、『七色仮面』の後、時代劇ヒーロー作品も作られましたが、やはり主流は千葉真一主演『新・七色仮面』や小嶋一郎主演『ナショナルキッド』など等身大の特撮ヒーロー作品でした。
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大川は、「これからは特撮と動画の時代」と語り、第二東映事業を始めた1960年6月に特殊技術課を設置、後に円谷プロ『ウルトラマン』の造形デザインを担当した特撮美術の成田亨などを招いて東映特撮チームを編成し、特撮を活用した映画を作っていきます。
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また、東映動画もテレビアニメ制作に乗り出し、NET系にて、森永製菓提供、手塚治虫の弟子月岡貞夫演出でオリジナルテレビアニメ『狼少年ケン』(1963/11/25~1965/8/16)を制作しました。
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〇 テレビアニメの劇場上映
テレビアニメ『狼少年ケン』も35ミリに引き伸ばされ、1963年末公開、白川大作演出の劇場用オリジナル長編アニメ『わんわん忠臣蔵』に白川の発案で併映されます。『狼少年ケン』の劇場での人気は高く、上映話を変えてシリーズ化され、ここでもテレビ人気番組の興行力の高さがわかりました。
劇場での関連商品の売り上げも大きいこともあり、テレビアニメに映画興行の新たな商機を見出した大川は、春、夏、冬の学校の長期間の休みには子供向けのアニメ映画を上映することを決めます。
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〇 京撮テレビ時代劇復活
1964年2月、撤退した第二東映事業で膨らんだ人員の合理化と、普及の進むテレビへの作品供給の必要性から、京撮に東映京都テレビ・プロダクションが新設されました。
再び京撮でテレビ時代劇が撮影されるようになると、東撮の東映テレビ・プロでの時代劇作品は大人向けのみとなり本数も減少。また、子供向け時代劇作品の制作はなくなりました。
〇 人気テレビ作品を集めて劇場上映する『まんが大行進』の成功
東映動画では、『狼少年ケン』が人気を博す中、続いてNET系にて白土三平原作『忍者旋風』、講談社『週刊少年マガジン』連載『風の石丸』をもとに『少年忍者 風のフジ丸』(1964/6/7~1965/8/29)を制作、放映します。
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この作品も、人気を呼び、東映は、1964年7月21日から『まんが大行進』という冠をつけ、テレビの人気作品をまとめて映画館で上映します。
『狼少年ケン』、『少年忍者風のフジ丸』、他社制作『エイトマン』(TCJ)、『鉄人28号』(TCJ)に、2週目から『フジ丸』の番組かわりで実写『忍者部隊月光』(国際放映)の4本立て興行は大成功しました。
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翌1965年7月夏休み、東映は第2回『まんが大行進』として、東映動画制作『狼少年ケン』『少年忍者 風のフジ丸』『宇宙パトロールホッパ』に他社制作の『スーパージェッター』(TCJ)『宇宙少年ソラン』(TCJ)、当時起こった誘拐事件の実写ドキュメンタリー『噫(ああ)!吉展ちゃん』の6本立てで公開しました。
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続く1965年冬休みには、第3回『まんが大行進』として、東映動画の劇場用長編アニメ『わんわん忠臣蔵』の再映、『狼少年ケン』、東京ムービー製作、元東映動画スタッフ楠部大吉郎が設立したAプロダクション制作の藤子不二雄原作『オバケのQ太郎』、の3本立て作品が公開されます。
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〇 東京制作所設立とマンガ原作SF特撮ヒーローの発展
一方、1965年8月、スタッフの合理化とますます拡大するテレビ作品の需要に対応するため、東映は、両撮に東映制作所部門を新設しました。
そして、東映子供向けSF特撮ヒーロー作品は、12月に東映両撮から独立し、特撮チームが参加した(株)東京制作所を中心に制作されるようになります。
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この1965年には、大映も『大怪獣ガメラ』で特撮怪獣映画に参戦し、翌年に大映京都で特撮時代劇『大魔神』も登場、特撮ブームを盛り上げました。
1966年から東京放送(TBS)系で円谷プロ『ウルトラQ』『ウルトラマン』が放映され、テレビでも怪獣ブームが興り、子供たちの怪獣ブームもこれまでの映画からテレビ作品へと移行します。
1965年12月に京撮助監督平山亨が本社テレビ部に企画補佐として異動すると、講談社『週刊少年マガジン』連載水木しげる原作『悪魔くん』(1966/10/06~1967/3/30)を手始めに、次々と子供向き特撮テレビ作品を企画、東映制作所にて制作しました。それらの作品は、折からのテレビ特撮ブームに乗りヒットしていきます。
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③ 京撮子供向け特撮時代劇『仮面の忍者赤影』の大ヒット、『妖術武芸帳』の失敗による子供時代劇路線からの撤退
1964年に設立された東映京都テレビ・プロダクションは、1966年、初めての子供向け現代劇として藤子不二雄Ⓐ原作『忍者ハットリくん』(1966/4/7~9/28)を制作しました。
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その年7月、京撮では、講談社『週刊少年マガジン』連載の白土三平作人気漫画『ワタリ』を船床定男監督・金子吉延主演にて『大忍術映画ワタリ』というタイトルで製作公開、大ヒットします。
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この映画を作るにあたり、本格的な特撮合成機材を購入した京撮は、翌1967年、これを活かして東映京都テレビプロで横山光輝原作、特撮時代劇『仮面の忍者 赤影』(1967/4/5~1968/3/27)を制作しました。
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この作品も平山の企画でしたが『キャプテンウルトラ』と制作時期が被ったため、また関西テレビ(KTV)が大阪のテレビ局であったこともあり、京都主導で撮影が進み、怪獣ブームにも便乗したこの作品は大ヒットします。
しかし、その後、平山が企画した京都テレビプロ制作の子供向け第3弾TBS系『妖術武芸帳』(1969/3/16~6/8)が失敗に終わり、それ以降、京都テレビプロは大人向け時代劇のみになりました。
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そして、東映の子供向き作品は、SF特撮ブームなどによって、東撮のテレビ特撮、テレビアニメをベースにした特撮・アニメが中心となって行きます。
一方、京撮はエロスや暴力路線の映画、かつての時代劇映画ファンにむけた勧善懲悪テレビ作品といった大人相手の作品に活路を開いたのでした。
次回は、今も続く東映特撮、アニメの原点、大川博社長時代に作られた東映子供向け作品系譜後編です。