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いつか、また、会う日まで

昨日から、そんな予感がしていた。

いや、それは、以前から少しずつ忍び寄っていて 
それに蓋をして見ないようにしていた。

お盆が終わりを迎える夕方、それは理解を迎えた。
信じていたけれど、小さなやりとりで気づいた『異和感』
膨れ上がる『異和感の匂い』は、やはり、自分自身に早々に告げていた。

人は匂いを感じる機能が、とても良く働いているとき、右脳の中に、言語化できない虫だったり、光だったり、風景だったり、味だってするものだ。

数日前の地震、そして、終戦記念日の今日、この期間に、ハッキリと見せるために。
新しいフェーズに移っていく、違うレールの列車それぞれが乗って、互いに窓から見ていたけれど、窓もしめて、
一心不乱に次の駅へ左右に分かれたレールを進んでいく。

この匂いと味は、若すぎる頃には耐えられなかっただろう、と思う、生温いシャルトリューズの味のようだ。

小鳥遊の庭のリンドウを摘み、リキュールにしたような、少し塩っぽい苦甘い薬酒。

仕方がない、この苦甘い薬酒には、ドライフルーツを沈ませるしかない。
練乳やチョコレートでは対抗できない種類の精製されすぎていない太陽を浴びた果物が、こんな夜の底に沈めるには有り難い存在。

冬には、喉の弱い私を愛してくれるお供になるでしょう。

お盆には、事件が付きものだが、今回は是非ともソコを逃げ切りたかった。
が、特にこの二週間は厳しいと師匠にきいていたものの、抜けたあたりで、ガツンときたね。

お伊勢さんに行くたびに起こっていたことが、今回は、ここで来た。
(お墓参り行ったが、気持ちは赤子のようにわがままボディだったの)

仕方がない。腹を立てていても、悲しんでも、駅に着くまで列車からは、降りられない。

小鳥遊の庭のある場所に、こんな言葉が隠してある。

「幸せは 不幸の顔してやってくる」

おやおや?えらい不服そうな顔してまんな。
綺麗事のように決めた言葉には、裏がある。

「どっちに転んでも幸せ」
「どっちを選ぶにしても、騒がなければ、ことは静かに運ばれてくる」

昨年暮れ、若すぎる虹の船に乗っていったイトコを思う。
初盆のお返しを、まだ箱から出せない。可愛い笑顔が頭から🤐ないので、今夜は、庭の片隅に飾っておこう。

続きは、明日にして。
今夜は、木で出来て入る、昼間の太陽の温かさがまだ残る扉に鍵をさ、かけよう。
かっこは つけられない。
まだまだ、私はヒヨッコだもの。

小鳥遊の庭の大きな桜に今は願いをかけて。
おやすみなさい。

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