空を見上げてごらん
通勤途中、小学生の集団登校を見かける。
指導を受けてのことだろう、一人ひとりの間隔が開いている。今の子どもたちは何かと大変だなあ、と可愛そうになってしまう。そんな気持ちで見ていたからだろうか。たまたまだろうか。列をなす小学生たちが皆、うつむいて歩いているのが気にかかった。
彼らには、空が見えているのだろうか。
そうして気になりはじめると、小学生だけではなかった。
道ゆく高校生も、ビジネスマンも、見ているのはアスファルトか携帯電話だ。確かに顔を上げてみたところで、そこには車、看板、ビル、人ひとヒト。あとは切り取られた空しかない。
最近、空をずうっと眺める時間を取っている。そよぐ風を感じ、ゆっくりと泳ぐ雲を見送り、刻一刻と移りゆく空の色を眺めているだけ。そのあいだにも空は決して同じ顔を二度と見せない。似ている表情に出会うこともあるけれど、まったく同じことは二度とない。その空を眺めている時間、何も考えることはない。
息子は、高校1年生。
幼少期からの習慣は、空をぼーっと眺めることだ。休み時間に学校のバルコニーに椅子を出してはぼーっとしているから、クラスメイトに変り者だと思われているらしい。しかし、ぼーっとする時間は、脳にとっても大事な時間。
幼いころから教えたわけでもないのに空を眺めつづけてきた息子。
空を見上げるとき、何を思っているんだろう。何が見えているんだろう。いちどアタマの中を覗いてみたい。この決まり事ばかり、窮屈な事ばかりの社会で、息子の瞳はあまりにも澄んでいる。
それはきっと、おそらく、たぶん、誰よりも空を見てきたから。
優越感も、嫉妬も、差別も、区別も、決め付けも、仲間はずれも、誤解も、嫌な事がみんな空へ抜けていってしまうから。
そうだ、今度、空の見方を息子に教えてもらおう。