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『保田與重郎文芸論集』抄①

…王朝の千年は名所の歌枕を指示し、咲く花をまつ歌をくりかえす時代を作った。たしかに花をまつ心は花やかでもあるし、それよりも類型によって燃焼させねばならなかった精神は、悲しく切ないものとなって、今の僕の心ひく。風景は一つ、しかも詩情は類型だったという、しかし僕は後者の一つに千差万別、満開の花の風景を知る思いだった。悲しみをおもうゆえに、現在を問うて類型を追うていった心に、僕はいくらかのペシミズムを感じても、個々の見出したニヒリズムの中に、同時にニヒリズムに対し無意識に闘っていたはげしいきびしさも見出される。

川村二郎編『保田與重郎文芸論集』(講談社文芸文庫,1999,p101)

 目指しているのはこうした文章、あるいはこうした文章にあらわれる視座や心持である。今の世においては、速度の要求に抗い、見聞することどもを情報としてではなく経験とすることが必要だと感じる。経験とは対象を風景で捉えることと、ものを対象化せず物我一体となるというか、ものに深く分け入っていくこととの往還が不可欠だろうと思う。それを欠いた営みは、そつがなく、舌を巻くほど手際の良いものだとしても、結局のところ至るのは空虚にすぎない。