ブラインドサッカーは断念した話(少なくとも今年は)
どうも、セントビンセント唯一の視覚障害者協会でマーケティングをしてます、Yukiです。
来月、視覚障害啓蒙月間というのがあって視覚障害者協会ではいくつかのイベントを開催します。その中でブラインドサッカーを企画しようとしていたのですが3つの理由で少なくとも今年はあきらめることにしました。
そもそもの現状
唯一の、といっても人口10万人程度の小さな国ですから1つあれば十分なんですが国内500人にいると言われている視覚障害者全員をサポートできているとは言えません。
なんらかの形でサポートできているのはせいぜい30人ほどでしょうか。残りの人たちがどうしてるのかは怖くてまだ聞けていません。
年間の予算は実質、政府からの補助金の40万円だけ。国民の平均所得が50万円~70万円ほどと言われていますから、30人程度でもなんらかの形でサポートできているのは奇跡に近いかもしれません。
はい、サポートするお金ぜんぜん足りてないので十分な活動できていないんです。引きこもっていたりする視覚障害者の方の社会復帰を支援するソーシャルワーカーや点字を教える先生など協会には彼ら彼女らを雇用できるお金がないからそれらの専門職の人は協会にはいません。ゼロです、0人。
昔はいたようですけどね、ソーシャルファンドの支援があったときは。
ぼくの仕事は金を稼ぎ、啓蒙すること
そんな状況の中で、ぼくに与えられた任務は端的に金を稼ぎ、啓蒙すること。
視覚障害者の所得を増やしたり新しい仕事をつくることが前者では求められています。こちらは別の機会に詳しくお話したいと思いますが、なんとか障害者の雇用を増やして、前述のソーシャルワーカーや点字の先生を雇用したいと考えています。
働くことは収入を得るだけでなく社会とつながる役割もあります。目が見えず暗闇の中で生きる彼らにとってはそれは特に大切なことだと思うのです。暗いって怖いし、孤独ですから。
後者では視覚障害(者)に対する理解を国民に深めてもらい、政策にまで影響を与えることをゴールにしています。
その啓蒙活動(PR)の一環としてブラインドサッカーをしたかったわけですね。
ボッコボコにしてほしかった
そもそもなんでブラインドサッカー(アイマスクをつけて鈴の入ったボールを使う)をやりたいかというと、健常者に全盲の体験をしてほしかったんですね。もっというと、暗闇の中で歩く怖さを知ってほしいんですね。こういう類のことは自分で体験してみないと大変さがわからないと思っているので。
それで、何か良い体験イベントはできないかと考えていきついたのがブラインドサッカーだったわけです。サッカーはこの国でも人気ですし、視覚障害者の人たちといっしょにプレーできますから。
視覚障害者チームと対戦して健常者がアイマスクで暗闇の恐怖であたふたしてる間にボッコボコにしてほしかったわけです。暗闇は彼らのホームグラウンドですから。
目が見えない生活の大変さを知る + 視覚障害者の人たちは目が見えなくてもいろんなことができるんだと健常者の人たちそのすごさを知ってほしいわけです。
さらにそこから、同じ競技をプレーすることがコミュニケーションのきっかけとなるじゃないですか。友だち増えるんじゃないか、それってすごい良いことなんじゃないかと思ったわけです。
大いなる誤算
そもそもアイマスクやブラインドサッカー用のボールを買うお金、ブラインドサッカー用の会場の用意運営できるスタッフ数が足りない(まだ着任2か月で知り合い少ない)という2つの実際上の問題がありましたが、断念せざるを得なかった最大の理由は、視覚障害者の人たちは走ったことがない、そしてそれに対する恐怖でした。
ここは日本と違って点字ブロックもないですし、道もボッコボコで段差はあちこちにあるバリアフリーとは程遠い環境です。
そんな環境の中で生きてきた彼らは誰かに手を引いてもらわないと出歩けません。そして慎重に歩かざるをえません。転びたくないですから。
走る機会なんてないんですね。
昔ちょっと試したことある程度だからでできれば走りたくない、と忌避感が言葉の節々に漂っていました。
乗り気でないことをさせるわけにもいかないのですし、出会って日が浅いなかで無理強いしてぼくと関係性がこじれるのも良くないので今回は見送ることにしました。
反省
ぼく小学生のとき、視覚障害者のパラリンピックの短距離選手が学校にきたことがあったんですね。内容はもう覚えてないんですけど、グラウンドでみんなで走ったんですよ。どれくらい速いか体験しようみたいなことだったと思います。
そのときの記憶があったから、視覚障害者の人も目が見えないだけで外で遊ぶもんだと思い込んでいたんですよ。
ぼく気づいたんですけど、それができる人って外を気軽に出歩ける人って先進国だけなんですよね。道に段差や穴がないとか、点字ブロックが適宜あるとかいうバリアフリーが浸透してる(多少の)安心感がないとダメですから。
そういう面での環境の差が自分が思っていたより大きいと愕然としました。見えてなかった。「バリアフリーじゃないよな、もちろん」で思考が止まってました。
外で遊んだり運動したりという娯楽の機会を奪ってしまってるとまで考えが及びませんでした。
大変な仕事を引き受けてしまったなぁと人知れず悩み事は増えていくわけです。