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あの夏の最初で最後の冒険

ジャカルタの安宿で南京虫に噛まれて、いかにも旅人っぽいなと悦に浸った数日後、ぼくは古都ソロにいた。

ジャワ原人を探す、そのためにひと夏ひとりでインドネシアに来ていた。

当時、ようやくスマホが世間に普及し始めたころで、昔ながらのバックパッカー的な、宿から宿を周り、少しでも安いところを探したり、宿においてあるゲストブックで情報を交換するまだ文化が残っていた。ネットですべてを完結させることができるようになる前の最後の時代だったと思う。旅先でもWi-Fiはあったけれど、アプリはそれほどなく、多くの人はインターネットカフェを利用していた。

ジャワ原人とは、インドネシアのジャワ島で発見された化石人類で、ホモ・エレクトスの亜種ホモ・エレクトス・エレクトスに分類される。ホモ・エレクトスはホモ・サピエンスと同じ時代、同じ場所で数万年生きていたと言われている。細かいところに突っ込み始めると、需要がないわりに話が延々と終わらないのでこのあたりにとどめておく。

ジャワ原人が発見されたのは19世紀の終わりごろ。当時は、黒人の祖先がゴリラで、欧米人の祖先はチンパンジー、アジア人の祖先はオランウータンだみたいなことが信じられていた時代。

その時代の1人のオランダ人が、たぶんこのへんに現生人類につながる化石があるんじゃないかと訪れてほんとにでてきたのがジャワ原人。

いまはどうかしらないけれど、当時は化石がみつかると調査団が派遣されて一帯が発掘調査されるという話だった。

学術的にそれほど価値がないのか、でてくる化石の量が少ないのか知らないけれど、ぼくがいた当時は調査は行われていなかった。

あまり情報はなかったけれど、化石がでた場所は農地になっているという話で、農地であるが故に、耕すとときたま化石が見つかるらしい。

なかなかそそる話だった。

ぼくにもチャンスがあるかもしれない、そしていったいどんなところで見つかったのかというのにも興味があった。そのオランダ人が、ここに眠っているに違いないと確信する理由がなにかあったのか、彼の時代から100年以上経ってしまってはいるけれど、なにか面影があるのではないかと思った。

ぼくはただ世界遺産を観光するのではなく、冒険的な何かを求めていた。

古都ソロについたのは夜だった。

夜分遅くにすみませんと訪ねた1つ目のゲストハウスに宿をとった。

ゲストブックには、「ここのお手伝いさんはやたらと1日貸し切りバイクツアーを進めてきます(彼が儲かるから)」とあった。

ジャワ原人が発掘されたサンギランという場所はソロから車で30分ほど。

タクシーを雇うお金はなかったのでバイク乗りのおじさんを1日雇い、まずは博物館に連れていってもらった。

想像以上になにもない博物館だった。退屈もよいところ。

ジャワ原人の化石は想像以上にでていないようだ。博物館という立派な建物に化石や出土品はごくごくわずか、ほとんどがレプリカと、人類の歴史を仰々しく長々と連ねているだけだった。

拍子抜けしてしまった。

とくに何を期待していたというわけではないけれど、とても暑かったということもあってとても発掘に行く気にはなれなかった。

バイクのおじさんも暑いからやめようという視線をしきりに送ってきていた。

それに、発掘できそうな場所もなかった。見る限り田舎の田園風景が広がっているし、わりにきれいに整備されていたから。

発掘された当時はもっと未開発の村落と山だったのだろうけれど、それにしてもここになにかあると確信する理由はどこにも見当たらなかった。

もちろん当人にはなにか確固たる信念があったのだろうけれど、ぼくの印象としては、そういう化石を発掘したりする人っていうのは、とんでもなく忍耐力があって情熱のある人ということになるんだろう。

行けばなんとかなると思っていた素人感まるだしのぼくは、その土地からなにも感じ取ることができず、忍耐力も情熱もなかった。

せめて、との思いから、実際に最初にジャワ原人が見つかった場所に連れていってもらった。

そこそこ立派な記念碑があるのみでたいして整備もされてなかった。ほんとうにこんなところで?と疑問がでるような川の横で道のそば。発見当時は川も道もなかったのかもしれないけれど。

にわかには信じ難かったからか、暑かったからか、ぼくの興味はすでに失われていたからか、なんの感動もなかった。

それでも、実際に見てないとわからないという、1次情報に価値をおくという考え方が確立しだしたのはこの頃だった。

冒険自体は、化石は見つからなかったし見つけようともしなかったから客観的には失敗だと言っていいだろうけれど、ぼくの中では、冒険とは、旅とは、その過程を楽しむものだとあの旅を通してはっきりわかった。

その意味では、ぼくはジャカルタで200円をケチったばっかりに南京虫に噛まれてひどい目にあい、ハローも通じない田舎で途方にくれたり、列車から見える果てしない田んぼの風景に心を躍らせ、迷子になってたまたま通りかかった欧米人に泣きついたり、上から目線の同世代の日本の大学生にイラっとしたり(いま思うと、標準語を話す大学生をいけ好かなく思っていただけかもしれない)…と終わってみれば、なかば行き当たりばったりだった旅も振り返れば楽しかった。

いつかまた、ああいう感情を良くも悪くも揺さぶられる旅をしたいなと思う。

あのときの光景や高揚感や絶望といった感情を、最近「アジア未知動物紀行」という本を読んで、ありありと思いだした。

こういう真面目なのかふざけているのかよくわからない少し抜けた紀行文をほろ酔いで読むのはとても良い。

当時はお酒をあまり飲めなかったけれど、数年越しに労をねぎらうことができたように思う。人見知りなのによくがんばったよ。

いやぁ、あの時代、学生生活には飽き飽きしていたけれど、あの瞬間、旅先にいるときのぼくは青春だったなぁ。

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