家族
昨日、
肺炎と気胸で入院をしていたじいちゃんが
退院して施設に戻った。
来月また他の症状で入院予定。
体力が心配。
じいちゃんは病院を出てすぐ、強い陽射しと蒸し暑さにびっくりしていた。
入院するときはこんな暑さじゃなかったもんね。
本人、帽子が好きなので、
先月LAでお土産に買ったドジャースの帽子を渡したら、無言のまま自分でかぶった。
大谷と一緒だよ、と伝えたら満足そうだった。
(施設のエレベーターの鏡で一緒に帽子姿を確認できたので、
じいちゃん、かっこいいね!
と言ったら、ウン、ウン、と頷いてて面白かった。
そう、施設に入った後くらいからの変化だが、
じいちゃんは自分のことをかっこいいと思っているようだ。
自己肯定感が高くて大変に良い。
私もかっこいいには同感だけどね。)
介護施設の方と関わったり、施設に行くたびに気づきがある。頭が下がる。
昨日は改めて、病院まで迎えにきてくれた施設のバンのオートマティックさに驚いた。
安全性の高そうなことにも。
施設の中では毎度、皆さんの手際の良さに驚く。
じいちゃんをひょいと持ち上げ車椅子からベッドへ。楽な体勢へ導く。
フロアやエレベーターホールでお会いする入居者の方達に、
それぞれの名前を呼んでから声をかけていく姿を見ては、
人生の終末期をそれぞれがどう過ごすか、
そこに可能な限り向き合ってくださってるんだなと思う。
我々孫たち(姉と私)は、
両親が不在なので何かと手続きなどを含め、
じいちゃんのケアをする立場だ。
施設探しはすこし大変だったな。
でも二人で納得できる場所を見つけられてよかった。
今も慣れないことばかりで、いつも、
施設の方にあれを聞けばよかったこれを聞けばよかった、
と家に帰ってから思うことも多い。
じいちゃんが老いていくこと、
会うたびにできることが減っていくこと、
やはりショックを受けるかな、と
会う前は毎回少しこわくなる。
けれどいざ会えば、そんな気持ちはどこかへいってしまう。
ショックはさほど大きくない、
食べれなくなっても、ほとんど話せなくなっても、
その都度、
目の前のじいちゃんのその姿を愛しく思う。
会えて嬉しい!という気持ちで満ちる。
部屋で、ベッドの横で、
会話はなくとも、隣にいるだけで、
かけがえのない大切な時間。
じいちゃんまた会いにいくぞー。