They were made from Glass.
はしがき:グラース・サーガ
J.D.サリンジャーといえば、「ライ麦畑でつかまえて」で有名なアメリカ文学の巨匠であるが、サリンジャーの後期の作品は、主に、グラース(Glass)という苗字の一家の、天才七人兄弟についての連作短編となっており、それらは「グラース・サーガ」と呼ばれている。サリンジャーは「ナイン・ストーリーズ」を始めとして、「フラニーとゾーイー」、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア—序章—」と、グラース家にまつわる短編を次々と発表したが、1965年に、長兄シーモアの書簡形式の作品、「ハプワース16,1924」を発表して以降、一作品も発表することのないまま、2010年に逝去した。そのため、グラース・サーガは未完成の作品群だとの評を受けることが多い。しかし、ことグラース・サーガを読むうえで、それが物語として完結しているか否かというのはさほど重要な問題ではないだろう。われわれの語る意味での物語と言うよりは、これはある種、叙述のひとつだ。 グラース・サーガの魅力を端的に語るとなれば、長兄・シーモアの存在が欠かせない。彼はグラース・サーガの最初の作品、「バナナフィッシュにうってつけの日」(「ナイン・ストーリーズ」収録)に主人公として登場しているが、この作品のラストで拳銃自殺をしてしまう。彼の自殺は、グラース・サーガにおいて描かれる重大なテーマのひとつだ。しかし、シーモアは次兄のバディをして、「彼はわたしたちにとっていっさいのほんものだった」(「シーモア—序章—」/井上謙治訳)と言わしめるほどに、グラース家の七人兄弟の精神的支柱としての役割を果たしており、シーモアの死後も、グラース家の弟妹たちの思想・言動の中には彼の影が色濃く見て取れる。そのようなある種閉鎖的な価値観の中で生きる、繊細で傷つきやすく、しかしその内側に計り知れない思惟と哲学を持ったこどもたちを描いた作品群がグラース・サーガであり、そこには才知と憧憬と信仰、そして愛がある。そんな彼らについて、徒然なるままに語った書評(と呼ぶには少し主観に傾きすぎている)を三本ばかりまとめたのが、この「They were made from Glass——グラース姓のこどもたち」だ。お付き合い願えれば幸いである。