祈りの新しいかたち 神仏との向き合い方(信心)とは
大好きな浅草には浅草寺(せんそうじ)があります。今年(令和5年)は5月に4年ぶりの三社祭(さんじゃまつり)がありました。三社祭は浅草寺のお祭りではなく、浅草神社のお祭りです。
お寺と神社は、もともと一緒でしたが、明治時代の神仏分離で2つになりました。
浅草寺は、推古天皇の時代に隅田川で漁師の兄弟の網(あみ)にかかった木?の尊像を、ある人が観音(かんのん)さまだ!とお気づきになりました。そして、観音さまをお奉(まつ)りしたところ、一夜にして千本の松が生え、金の龍があらわれて観音さまをお護(まも)りされたという縁起のようです。
そのことから、浅草寺の正式名称は金龍山(きんりゅうざん)浅草寺というそうです。詳細はリンクをご覧くださいませ。 ↓
そして、観音さまをお奉りされた方は、御自宅を祈りの場(お寺?神社?)にして生涯観音さまにお仕(つか)えされたそうです。その方と漁師の兄弟の3人をお奉りされているのが、浅草神社(通称、三社さま)で、三社祭のおこりのようです。詳細はリンクをご覧くださいませ。 ↓
浅草寺では、「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と唱(とな)えると良いそうです。
南無(なむ)は、「よろしくお願いします」の意味であるそうなので、南無観世音菩薩は、現代語訳すると「観音さま、よろしくお願いします」とお唱えされてもよいとわたしは思います。
もう少し補足して通訳すると、「観音さま、いつもお守りくださってありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします」とお祈りされてもよいと思います。(浅草神社では、ニ礼 ニ拍手 一礼。「三社さま、いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」でしょうか。)
歌にしても、祈り(思い、想い)は伝わると、わたしは思います。お経を読んでも良いし、歌を聴いても、つぶやいても御利益(ごりやく)はあると、わたしは思います。
観音さまのお経を歌にしたYouTubeを見つけたので興味がある方はぜひお聴きくださいませ。 ↓
YouTubeを観ていたら、すてきな般若心経(はんにゃしんきょう)バージョンも発見しました。聞き流すだけでも、きっと御利益あると思います。まさに音楽?!芸術?!ビビっときた方は、ぜひご鑑賞くださいませ。 ↓
般若心経の現代語訳(ラップ)バージョンもステキです。もしかしたらこちらがしっくりくるかもです。元気と勇気をもらえるかもしれません。よかったらお楽しみくださいませ。 ↓
多様性、ダイバーシティ、インクルーシブな社会。他者を傷つけないならば、すべて自由です。礼儀作法は大事ですが、時には「かたち」に縛られなくて良いと思います。そして、自分がしっくりくる拠(よ)りどころがあると、心を強く、まんなかに持っていけると、わたしは考えております。
「自分自身の拠りどころになりなさい」とある方はおっしゃっていたそうです。深遠ですね。わたしの好きな言葉の一つです。
わたしはわたしの拠りどころになりたい!
そう思って、その言葉と出会(逢、遭)ったおかげで人生の荒波(辛いとき、しんどいとき)は、どうにかこうにか乗り切ることができました。このnoteを書いていて、そんなことを思い出しました。気づかせていただきありがとうございます。
ちなみにわたしは、父は浄土宗(じょうどしゅう)、阿弥陀(あみだ)さま。母は法華宗(ほっけしゅう)、日蓮(にちれん)さま、南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)。妻は真言宗(しんごんしゅう)、空海(くうかい)さま、弘法大師(こうぼうだいし)さま。母方のご先祖さまは、クリスチャン、イエスさまです。
観音さまも、三社さまも、阿弥陀さまも、日蓮さまも、弘法大師さまも、イエスさまも、神さまも、仏さまも、わたしは信じております。
会社の近くには、明治神宮、善光寺、秋葉神社、穏田神社があります。すこし歩くと、御嶽神社、金王八幡宮、氷川神社もあります。行けるときは、ご挨拶とお礼(感謝)に伺っております。
祈り、祷り、人の思い、想いは、宗派、宗閥にかかわらず、他者を傷つけないならば「自由」であり、八百万(やおよろず)の御神仏(ごしんぶつ)とつながることができると、わたしは信じております。
手を合わせると「今」と向き合い、こころをまんなかに持っていくきっかけになりますが、究極的には、手を合わせても合わせなくても、すべては「その方の自由」であり、「心を強く、まんなかに持っていくこと」はできると思います。
もっと言うと、何も学ばなくても、生きざまとして神さま仏さまのような生き方をされている人?まさに神?仏?さまがいらっしゃると思います。そういうフラットな生き方、地に足のついた生き方を大いに見習いたいと思います。
最後に、お賽銭、お布施などについて、わたしの考えをシェアさせていただきます。あくまで、わたしの個人的な考えです。
お宮参り、七五三、ご祈願、ご供養などお寺、神社などで決まった金額があるかと思います。お寺、神社さんも、生活があり、お金がないと家族を養えないので、ご自身(または、ご自身とご家族)が納得されて、自分(または、自分たち)の生活に支障がない範囲ならば、その対価としてお支払いするのはありだと思います。
しかしながら、金額が高いか低いかで神仏への願いが叶う叶わないということはないと思います。
お賽銭(さいせん)、お布施(ふせ)などはお気持ちで良いと思います。もしも、この世の中にお寺や神社がなければ、自宅で祈れるだろうし、祈ることそのもの(祈るという行為)は無料ですから、その気持ちがありさえすればできると思います。
お賽銭、お布施などをすることを考えてみると、たとえばできる範囲で一日一つゴミを拾うことなどと同じではないでしょうか。世のため人のためになることは神仏(地球)がよろこぶことではないでしょうか。わたしはそのように考えております。
繰り返しになりますが、あくまで個人的な考えです。自分自身の信じる道を大いに進まれてくださいませ。突き詰めて進んでいくと、それぞれの道は違ったとしてもゴールは同じ?辿(たど)り着く高み?その領域?は同じであるとわたしは思います。
すべての道は日本橋に通ず、通じる(日本橋が道の始まり)、すべての道はローマに通じるですかね。
最後までお読みいただき心より感謝申し上げます。ありがとうございます。こういう考えもあるんだなあと思っていただけたら大変に有りがたいことでございます。
皆々さまとの御縁に感謝申し上げます。はじめての方も、いつもありがとうございますの方も、今日一日が素晴らしい日となりますように。グッドラック🍀
精進します。精進を続けます。精進を続けて行きます。
おまけ
10月18日は、浅草寺舞の「金龍の舞」が奉納されるそうです。3月と10月の年2回、18日に奉演されるそうです。 ↓
ご自愛くださいませ🍀
令和5年(2023年)10月12日 大安吉日