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食を通して魅せてくれるウェルビーイングの世界:ポコポコキッチン

 秋田県五城目町に移住し、生活がシンプルになってきて見えてきたのは、「食」って改めて最強だなと思うこと。

 「食」と一口に言ったとき、世代も国も人種も越えた日々の営みだから全員の共通言語になるとか、一緒に食べている人の宗教・生育環境・嗜好を映し出すから人々の相互理解につながるとか、材料や料理法からその国・作った人の文化が映し出されるから好奇心で心もお腹も満たされるとか、色々な役割や機能が「食」にはあるけれど、それらを全部含めて更にもっと遠くまで食の可能性をひろげているポコポコキッチンは、私は「食」の中でも史上最強!って思っています。

 ウェルビーイングなまちづくりとは何か?について考えることを研究対象としている私は、「食」について思考を巡らした時、子ども食堂やフードドライブなどの事例から食はセイフティーネットであると思うし、コミュニティガーデンや都市農園などの事例から食はコミュニティの再生・活性化のための触媒だと思うし、何より心から美味しいと思える食事を提供してくれるレストラン・食堂・カフェ自体がまちにあることは、大切な彩りをまちの暮らしに与えてくれる存在だと思っています。
 どんな角度から見ても、やっぱり食って広く皆に共通だけど奥深い。そして何より、それを体感として教えてくれているのが秋田県五城目町にあるポコポコキッチン。ここは私の子供たちにとっては心の安全基地であり、ゆるやかに温かく人とつながる居場所です。
 

 私が五城目町に子供たちと一緒に足を運んだのは2022年11月。五城目小学校で行われた教育留学に参加するために来町したのがきっかけでした。17日間の教育留学による滞在がそろそろ終わるという頃、長男が仲良くなったお友達のお母さんのひろみさん(ひろみさんのポコポコキッチンの記事はこちら)から、「BABAME BASEにポコポコキッチンというところがあってね。もう行った?『まるちゃん』と『みずきちゃん』という二人が今はやってる場所で、仲間を募って畑で野菜を育てたり、週末は採れた野菜や地域の人たちが持ち寄った食材などを活かして料理を作ってみんなで食べるんだよ。そこはポコポコという通貨があって。」と話してくれました。前にきいたことはあって知っていたけど、なるほどやっぱりおもしろそうな場所だなぁと思いながら頷いていると、ひろみさんはお財布から葉っぱのカタチになっている紙幣を取り出し、「100ポコポコあげるよ。ポコポコキッチンで使われている通貨なんだ。もうすぐ教育留学が終わって今日子さんたちは船橋に帰っちゃうけど、この100ポコポコを使いにまた五城目に来てね。」と言われ、私は驚きながらその100ポコポコを受け取ったことを鮮明に覚えています。可愛いデザインでちょっと厚手の丈夫な紙幣。これが、私と子ども達の最初のポコポコキッチンとのつながりです。

 船橋市に帰ってからの日常は慌ただしく、五城目町での生活は何だか夢の中にいたような遠い場所のような感覚になりながら、私と次男は元の生活にどんどん戻っていきました。それとは対照的に、長男の心は五城目の生活を思い出しながら船橋での暮らしで迷いの中にいました。ひろみさんから「ポコポコは発行する量が決まってて、誰かが貯めちゃうと皆が使えない仕組みになっているんだよ」と話してくれたことを思い出し、長男は100ポコポコを時々私の財布から取り出しながら「これ、僕たちがずっともってたら良くないよね…?」と時々口にしてぼんやりと日々を過ごす中で、一枚の100ポコポコが五城目での思い出と生活の実体を、船橋での日常の中から教えてくれる存在でした。五城目町の生活をリマインドしてくれる付箋のような、今の生活へのお守りのような100ポコポコが、時々私の財布から出たり入ったり眺められたりしながら毎日が過ぎて2週間ほどたった頃、長男は五城目での暮らしに腹落ちし、船橋の生活に整理をつけたように「ママ、僕は五城目町に引っ越して、向こうの学校に通い、あそこで暮らしたいんだよね。」と言い出すようになります。

ポコポコ紙幣は長財布にぴったり収まるサイズで、そっと使われる瞬間を待っています。

 
 ウェルビーイングについて研究していると、「ウェルビーイングって、結局、何ですか?」という問いをよく受けます。世界保健機構(WHO)の定義だと「身体的・精神的・社会的に良好な状態」ですとか、ウェルビーイング研究で著名な前野隆司教授は「平たく言うと『幸せ』です」とか、色々な説明があるものの私自身もすっきりしなくてモヤモヤした感じがやっぱり抜けないのが正直なところ。でも、ひとまずその言葉自体に立ち戻り、Well(良い)な状態でBeing(存在すること・あること)することとしておいて、そしてその良い状態で存在すること・あることの時間を、ぐっとその人の人生のスケールにまで延ばすとGood Life(良い人生)になるのかなと思っているのが、今の私のウェルビーイングとその周辺に対する見方・考え方です。じゃあ、Good Lifeに最も必要となってくるのは何なのだろうか。生涯Good Life研究をされてきたハーバード大学ロバート・ウォールディンガー先生によれば収入でも地位でも健康でもなく、「良い人間関係(ポジティブで心の通い合える人間関係)」だという結論。こっちのアングルからウェルビーイングに立ち戻ってみると、もっと理解が深まりそうな直感がする!というのが最近の私の考え。

 この「良い人間関係」、一言でシンプルに表現されているけど、実は結構高度で複雑なことだと思っています。そして「良い人間関係で『居続ける』」のはもっと難しい。だって始めは仲が良かったと思う人でも段々とすれ違って心が離れることはあるし、自分の心身の状態が良くなければ相手を傷つけてしまうこともある。長男が移住したいと言い出した頃、長男をとりまく人間関係はネガティブで自分の心を守らないといけない関係が大半を占めていてました。なので一旦自分の心を落ち着かせて、もう一度人間関係を見つめ紡ぎ直していく場所が必要でした。そして、それは私も次男も似たような状況だったと思います。


 移住も含めた新しい場所・環境で人間関係を構築する時、多くの人はそこで「良い人間関係」を築こう!と頑張ろうとすると思います。でも本人の性格・性質や、どういう人が周囲にいるかによって良い人間関係の築き方も続け方も異なります。無理に背伸びをして失敗することもあるし、なかなか人の輪に入っていけなくて孤独感を感じることもあるかと思います。その人その人にとってのパーソナルスペースの取り方も異なる中で、できれば仲良くなる自然なきっかけと双方が心地よいと思える距離感があるといいのですが、そのきっかけづくりと距離感の取り方って結構難しいな…と移住したての頃の私は思っていました。これは移住した場所が問題なのではなく、私自身がパーソナルスペースの取り方が他の人より近いために相手が心地よいと思う距離感を思わず越えてしまうことや、一方で自分のパーソナルスーペースの守り方をいつのまにか見失ってしまい、自分自身が居心地が悪くなってしまうことによります。また、良い人間関係は全員と平等に仲良くしなくてはいけないということではなく、それぞれの相手と自分の間の適切な距離感を見極めながら豊かな関係性を築くことなので、会話のキャッチボールのやりとりにも似ています。新しい土地・職場・環境などになった時は、多くの周りの人たちと同時に距離感のキャッチボールをたくさん行うこととなるので、これは実は結構大変な業です。なので特に移住したての頃の私は、人との距離感に緊張しながら子供のケアをしつつ地域の人たちと良い関係性をつくっていくのにやや必死で、ゆるやかに人とつながれる自然なきかっけや心地よい距離感を保てる場所を求めていました。

 そんな中、ぽつりぽつりとポコポコキッチンに顔を出し始めた私たちに、まるちゃんとみずきちゃんは「今日BBQを皆でやるんだけど、今日子さんたち来ない?」とか「畑で野菜育てるんだけど、苗いくつか植えない?」とか沢山のきっかけをくれていました。いきなり直接的な対話から入るのではなく、誰かと何かの共通のアクティビティを通して、自然なかたちで人との距離を調節しながら溶け込ませてくれるこういう機会はありがたかった。

 BBQでは屋外で火を焚きながら沢山の「初めまして」を繰り広げ、子ども達はお腹も心も満たされていきました。ポコポコファームではトマト・バジル・キャベツ・ブロッコリーなど沢山の野菜たちを収穫させてもらい、次男は広い空と美味しい空気の下でのびのびと過ごします。そこでもまた、沢山の「よろしくお願いします」を繰り返し、畑でのんびりお茶っこさせてもらいました。

 令和5年7月豪雨により秋田県の多くの地域で甚大な被害がありました。五城目町も町史に残る災害で、ここポコポコファームも土砂が流れ込み、みんなで植えた野菜も何もかも流されて大きな被害が。でも、災害から時が流れて暑さが残る日、荒れてしまった畑の様子を見に行こうかと子供たちを連れていってくれたまるちゃんとみずきちゃん。なんとそこにはオクラの苗が生き残り実をならせていて子供たちが収穫。後ろには被害に負けず咲いたひまわりが。

 段々と地域になじむ感覚を私も子供たちも得ていくにつれて、肩肘張って良い人間関係を築こうという意識から私は少しづつ解放されていきました。そして、なんだか色々間違えちゃったら「ゴメンね」「申し訳ない」を言って人間関係を再構築する関係性ができてくる中で、ポコポコキッチンは食を通じて関係性をつくり、お互いのピントを調節し合い、より豊かに深くしてくれる場所になっていきました。

 ひろみさんがくれた100ポコポコは、無事にとある日のポコポコキッチンでご飯を食べるために使わせてもらいました。お食事代を支払った後に長男は「あの100ポコポコ、ちゃんとポコポコキッチンに戻ってこれたね。」と言って、私も子供たちもちょっとした安堵感と、どことなく感慨深さが心の中に残りました。ずっと私のお財布の中に入っていた100ポコポコは、五城目町へ再びつながるための切符となり、今の暮らしへと私たちを運んでくれたんだなと思っています。初めは少しドキドキしながら子供たちと足を運んでいたポコポコキッチンですが、いつも温かさと笑いにあふれ人が自然と集まる広場のようなデスティネーションです。

ある日のポコポコのメニュー。熊肉を使ったシチューがソースなオムライス。卵はふわふわで、熊さんはトロトロで、子供たちも大喜びで食べました。お皿も器も地元の作家さんの作品を使用。

 最後に。そろそろ春が近づいてきたなと感じ始めていた休日のある日、まるちゃんとみずきちゃんに「今日子さん、『ひとそれぞれのポコポコ』の記事、書いてくれない?」と言われました。私は嬉しくて二つ返事で引き受け、何をかこうか?私が書く?子どもが書くのも面白いんじゃない?などと、あれやこれやと雑談して気づいたことは、私が知っているポコポコキッチンは、まるちゃんとみずきちゃんの二人で盛り上げている場所である時期しか知らないんだということです。
 だから、まるちゃんが一人で始めた初期のポコポコキッチンの頃は全然知らないし(見たかったなぁ)、その後色々な人たちが調理場にいた頃も私は写真でしか知りえないのが少し悔しい。でも、これまでのポコポコキッチンの話を聞いた時、今この瞬間のポコポコキッチンは本当に「今」しかなくて刻々と変化していて、そこで共有できたこと・気づいたこと・教えてもらったことの多さにも気づきました。まだまだここの記事に書ききれなかったことが沢山ある私たちのポコポコキッチンですが、ひとまずここで2024年春にポコポコキッチンについて記憶することによって、またいつかこの記事に帰ってきた時に、今度はまるちゃんやみずきちゃんと「あの時、今日子さんが記事を書いた時はさ、ポコポコはこうだったよねー!」と話しながら変化を愉しめる、そんな記憶としてここに置いておきたいと思います。
 
 そして、これからもポコポコを舞台にした、これからのみんなの変化を、大いに愉しみたいと思います。


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