カラフルイデオロギー
肉と米ばかり食べている。
来る日も来る日も鶏と魚を、米を食べている。
惰性で目にした5ちゃんねるの反応をまとめた動画は、そんな自分の有様を一考に付すような内容。
「ヴィーガンだけど何か質問ある?」
厄介な匂いがする。これ、草の薫りかな。
俺は逆ヴィーガンだ。納豆にまぶすネギくらいしか口にしないから筋金入りだ。
こんな真反対の存在だし背中合わせで分かるところもあるかもしれない、と思いつつ少し観る。
なんでも屠殺の映像を観た末に可哀想だから食べられなくなったのが始まりなんだとか。
そういえば大学時代でもそんな種の映像を英語の時間に観せられたなぁと思い出すのと同時に、
なんか"押し"が強くてイヤだったことも思い出された。
結局その思い出のほうが気になって動画は中断した。
でね、その英語教師、こんなこと言いやがったの。
「ある地域では果物を食べて身体の健康を十分に維持している民族もいる。それなのに、こんな残酷なことを動物にしてまでなぜ我々は肉を食べるのだろう?」
今思えば、この言葉だけでヴィーガンってのは、
金の掛かる贅沢な思想だなぁって思う。
だってさ、そりゃそんな素晴らしい果物がある地域なら肉を食べなくてもいいだろうけど、ポイントは「食べなくてもいい」って選択肢がそもそもあることなんだよ。
俺も身体づくりしてるから分かるんだけど、良い食材とか健康増進ってとにかく金と時間と労力がかかる。
まず運動は分かるだろう。食材もそう。料理も調理器具もそうだし、よく眠ることもそうじゃないか。
これを全部無視するとダメな大学生とか日雇い労働者みたいな生活しか選択肢に残されていない。
俺が身体がどんどん大きくなりはじめたのも、
明らかに今のホワイトな職に就いた後、
つまり、金と時間と労力が惜しみなく使える状態になってから、選択肢が増えてから、なんだ。
ヴィーガニズムもこの点で通じるところがあるんじゃないか。
彼らは肉でなく野菜を選択できる環境と、その豊かさを自明視している。
たとえばアメリカなんかの貧乏人みたいな、安価で腹一杯になるものが油で揚げたオイリーな食材しかない状態なんてそもそも見ちゃいない。
こんな境遇の彼らに野菜を食う"べき"なんてどのツラ下げて言うのだろうか。
あと気に入らないのが、ヴィーガニズムが"買っている"ものが「正しさ」だってところ。
他の生命を奪って手前勝手に、それ自体の意味など何も無いまま生存を維持することが生きとし生きるものの姿だ。
その姿にそれ以上も以下もないのに、そこに「正しい」とか「悪い」、「かわいそう」だとか「哀れみを感じない」などというものを付け足して自分の生存に付加価値、つまり「意味」を得ようとすることは、ただの「嗜み」だ。
いや、待ちたまえ。
しかし、このように無駄な「意味」をもたらすことこそ、「人間のありのまま」じゃないのか。
この「人間のありのまま」に「生命体のありのまま」という補助線を敷く自分は結局、「ありのまま」である「べき」と越権的に言ってしまっているのではないか。
俺の言いたかったことは、なんと言うか、人間に聴き取られた瞬間に誤解されるものなのだ。
そう、神様にしか「正しく」聞き取れない言葉なのだと言える。
しかし冷静に努めて考えると俺は、道徳に対し道徳的な怒りを抱いているだけなのである。
結局、答えは出ない。
俺は肉と米を何となく食べてきたという、この何となくに満足しているのに、そこに一々正しい/間違いで茶々を入れられるのが嫌なだけなのだろうか。
大きな山を動かせる重機械を人間が持っていたなら、大きな山を動かす神への信仰は生まれない。
逆を言えば、これまでになく何よりも美味しい野菜とか、これまでになく可愛げのない有害な動物なんかが発見されたら、その時にヴィーガニズムは受け入れられるのだろう。
大豆なんかで肉の「代替」なんてさせているうちは、「信仰」なんてあり得ない。
オリジナルじゃない神など、人は信じられないからだ。
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