【70才過ぎの母と知的障害の兄】年金だけでは生活できない
※本当に生活が厳しいときは生活保護があるという話です。興味がある方は、ぜひ。
実家には、月に一度連絡をする。
しかし、母が電話に出るのは平均して4回に一度くらい。
つまり、4か月に一度だ。
4月に「そっちは、コロナ大丈夫?」という話をして、先日ようやく今年2度目の電話がつながった。
母があまりに電話に出ないため、その間私は一方的に書簡を送っている。その中に聞きたいことを書いておくのだ。
すると、電話口で何を話そうかと悩むでもなく、母が手紙に書いたことを話してくれる。今回は10万円の給付金についてだった。「給付金の申請はできた?ちゃんと申請して、必要なときに使ってね」と書いたのだ。
東京都でもいくつかの区は給付金の処理が遅く、7月に入ってもまだ入金されないとTwitterが炎上していた。かくいう我が家も給付が遅い区に在住していたため、7月末に無事入金。
しかし、山口に住む母は9月に入ってもまだもらっていないというのだ。んなバカなと話を聞けば、どうも申請に不備があって何度もやり直しているらしい。
申請の最終期日が8月31日だから「これで不備があったらもらえんかもしれん」という。
「申請難しかったん?」と聞いたが、70才過ぎた母はめんどうな話は「もう、ええよ」とまるっとスルーしてしまう。
調べると申請には書類をコピーして添付する必要があるらしく、そのコピーが薄いとか必要な箇所が切れているとか、うまくとれない人がいるというのだ。多分、コピー機を使うことに慣れていない母はその類なのだろう。
給付金がないとはいえ、母と兄は年金暮らしだ。あろうとなかろうと生活環境は変わらないため、当面の生活について尋ねてみた。
「お金、大丈夫なん?」と聞けば、
「うん、まあ。なんとかね」
「ちゃんと食べよる?」と聞けば、
「暑くてよう食べんねぇ」
「熱中症気をつけりよ」といえば、
「窓ぜんぶ開けて、玄関で座って涼みよるよ」とのこと。
「暑いならクーラーつけて。つく?」
「つくかね?つかんかも…」
「壊れたん?」
「…」
「扇風機は?」
「…ないよ」
書類もそうだが、母は電子機器類もめっぽう苦手だ。クーラーは3年前に帰省したときにも「壊れた」といっていた。スイッチを押すと生温い風が出てくるというのだ。
フィルターを掃除して、配線をチェックして室外機もチェックして、スイッチを押すと、本当に生温かい空気が出てきた。見ればボタンが【暖房】になっている。【冷房】に切り替えると、普通に涼しい風が出た。
「これ、暖房設定になっとる。ここ、切り替えたら冷房になるから」そういって、クーラーの使い方を教えてきたのだが。はてまた、私に怒られるとでも思ったのだろうか。どうも口が堅い。
「ごはんは?」
「最近、白米食べてないねぇ」
ちょ!激貧生活、やないかい!!と私は慌てた。一連のやりとりを聞いていて、熱中症で亡くなる高齢者が多いというニュースが頭をよぎる。
のらりくらり核心をさけつつ、しかしうそはつけないようで、蒸し暑さに耐えかねて玄関でうちわをあおぎながら横になっている母が想像できた。
「明日、お米送るから待っとって」
私は早々に電話を切って、ネットで検索した。
【年金だけで生活できない】
と。
すると、生活保護というワードがヒットした。
ああ、そうか。失念していた。
わが家は数年前、パートナーがうつ病と診断され、産業医に仕事から離れるようにいわれたことがある。休職を余儀なくされ、生活は困窮を極めた。
3人の子どもがまだ2園児と小学低学年と幼く、私がパートをしても補いきれなかった。パートナーは寝たきり状態で相談すらままならない。困りに困り果てた末に、相談にいったのだ。生活支援課に。
おおまかな流れを思い出し、生活状況を母の住む市役所の生活支援課にメールした。
夕方、お米といっしょに梅干しやお茶漬けの素や栄養補給ゼリーや塩分チャージタブレットや紅茶を詰め、『生活が厳しい場合は、生活保護を受けられるかもしれません。詳細はまた追って連絡します』と書いた手紙を同封。
翌日、支援課の担当者から連絡がきた。母は70才過ぎており、同居の兄は知的障害で障害者年金を受給していること、自宅は借地権などの詳細を伝えた。
担当者に私が都内在住であることを伝えると「一回で申請できるようにしましょう」と、年金額や生命保険、物資産、預金額など、申請に必要な要項を教えてくれた。
とてもいい方だった。
その勢いで、母に一式調べてほしいことを箇条書きにしてまとめて郵送した。
そして、後日電話をすると、
第一声で、
「かんちゃん(私のこと)、ごめんね〜!」
と、威勢のいい詫びが入った。
嫌な予感がした。
「前にね、生活保護受給できるか聞いたことあるんよぉ」
「ダメやった?」
「いやねぇ〜、大きな声ではいえんよ?いったらいけんよ?」
電話口いっぱいにくちびるを寄せているのだろう、母の声が急に小さくなって聞き取りづらくなった。多分、兄に聞こえないようにするためだ。
「私が死んだら、くにひろが(兄)ひとりになるやろ?」
秘密を共有するような、神秘的な話ではない。70才をすぎた母と40才すぎた兄の最たる心配ごとは「8050問題」だ。
「そしたら、一応施設に入れるだけのお金があるんよ」
と、いった。
衝撃だった。
「お父さんが死ぬ前にね『これだけは使ったらいけん』って、もろうた通帳があるんよ。くにひろにいっちゃあいけんよ」
兄は障害者施設に入所して父と仲違いしたトラウマがあるため、施設が苦手だ。トラウマに近い話をすると、暴力的にもなる。
だから、絶対にいわないでと母は念を押す。いわないも何も兄は私とは話すらしてくれないし、ここ10年顔も合わせてくれないのも母は知ってるのだが(帰省すると旅行に出てしまう)。
「いわんけどさ。それ、いつかお兄ちゃんを説得せんといけんね」
「それは、そうなんやけど」
「だって、これお兄ちゃんのお金って渡して、ひとりで使える?」
「そら無理やろうよ、管理はできんよ。やけど、一人でここで生活するのもどうかと思うし。どうするかにせよ、使わんでがんばってきとるんよ」
と、母はいった。
ふむ。ひとまずこれは、保留の案件になりそうだ。
「心配かけて、ごめんねぇ〜。とにかく、なんとかなるし。もう、ええんよ。かんちゃんは、もういろいろやってくれたから、もうえぇよ」
「お米、ありがとうね」
「梅干し、お茶漬けと食べるね」
「またね」
まくし立てるように、電話を切ろうとする母の声を聞いていると、突然、ドバッとナイアガラの滝かっていうくらいの涙が湧き出てきた。
ここ何年かくらい泣いてなかったやつが、全部出てきた。
私は泣きすぎてしゃべれなくなって、奔走したことも全部ダメになって、市役所の人にも謝らないとって思いながら、最後に知ってしまった父の愛に猛烈な打撃を受けた。
父に愛されていない、と心を閉ざしてしまった兄にいいたい。
兄よ、愛されてるぞ。
死んでもなお、父の思念は残っていた。
きっと父は、兄を施設入れて苦しめてしまったことをずっと後悔していたに違いない。そして、きっと誰よりも兄の幸せな未来を考えていたに違いない。
例え、兄がその愛に気づかずに父のお金もろともドブに捨てるような使い方をしてしまったとしても。
私だけは、知ってる。おまえは、ちゃんと愛されてたぞ。
結局、ふたりの生活苦は変わらないままだけれど、母は父との約束を守るために、通帳の番人を続けている。そして私は、秘密の番人の存在をはじめて知ったのだった。
(兄についての詳しい話はこちらです)
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(あとがき的な)
まさかの貯金があったとは、というオチです。本当に年金生活だけで困窮している方(ご両親がいる方)は生活保護の手続きもできると思うので、調べてみてほしいです。
しかし、亡くなった人の通帳って開示するのが難しいと聞いたことがあるけど、そのあたりは大丈夫なんだろうか…(しばらく、保留)。
とりあえず、私は何かと心配しすぎだということ。
母は秘密が多いということ。
10年以上会っていない兄は、ちゃんと生きているということがわかった。
4か月ぶりの家族のやり取り。
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