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辻野先生が褒めた心臓

「君はとても良い心臓を持っているな。両親に感謝するといい」
小学校の何年生だっただろう。
全ての自信を失っていた私に、辻野先生から褒められた私の臓器は、あの時、とても喜んで早鐘を打った。

小学生の頃のスポーツ診断テストは、私の自信を喪失させる項目がこれでもかというほどズラリ並んでいた。
50メートル走、走り幅跳び、反復横跳び、垂直跳びに柔軟チェック。
何をやっても鈍臭い、どれを取っても平均以下。
投げれば早々に地面にのめり込むボール、全力で握った握力測定器は微妙にしか針が触れず、周りと結果を比べるたびに、体に鉛が仕込まれる。

何もこんなによってたかって苦手な項目を並べなくても良いじゃないか。
クラスのみんなが笑顔でやってる反復横跳びの順番に並び、どうせまた誰よりも回数が少ないんだと不貞腐ながら、早く1日が終わるよう祈るぐらいしか術はなし。

それでも、最後の最後に行われる踏み台昇降は、唯一ホッと出来る項目だった。
早い、遅いを競うわけでなく、一定のリズムを刻むだけ。
多少疲れるとはいえ、リズムさえ遅れなければ目立つことはない。
そのあと脈拍を図られるわけだが、子供の頃、あれになんの意味があるかはわからなかった。
どうやら持久力のテストだったらしいのだが、マラソンでなくて本当に良かった。

そして、その年もスポーツテストの日がやってきた。
運動会よりもずっと気が重い。
相変わらずの成績が書かれた紙を持ち、体育館や校庭を回って、ようやく最後の踏み台昇降まで辿りついた。
脈拍を取るため、先生たちがずらり座って待っている。
言われた場所に並ぶと、そこは辻野先生が担当する席だった。

やった!辻野先生だ!
今日は、最後の最後にツイてる!


辻野先生とは、特別支援学級の先生で、年齢はもうすぐ定年ほどだっただろうか。
高田純二さんのような雰囲気で、ニコニコしているというよりは飄々としている先生だった。
話す言葉がいつもユーモアに溢れていて、時々ニカっと笑う。
低学年から高学年、特別支援学級の子どもたち全員にいつも同じ態度で、子どもじみた言葉遣いも、かと言って厳しすぎる物言いもしない。
生徒たちはだから、先生をいつも信頼していた。
特別学級の教室は、休み時間になると子どもたちで溢れ、我先にと先生と遊びたがり、先生はいつも、面白い遊びを提案して、子どもたちみんなが楽しめる空気を作ってくれた。
例えば、それは、新聞紙で作る工作だったり糸電話だったりなのだが、今思い出しても、あんなにワクワクする教室はなかなかないんじゃないかと思う。

その大好きな辻野先生が、踏み台昇降を終えた後の脈拍計測の担当だった。
当時、無邪気に先生に話しかけられるようなキャラではなかった私は、モジモジとハニカミながら、先生に腕を突き出した。
すると先生は、脈拍を図りながら言った。
「お、だいぶ脈が早いな、これは相当疲れているぞ」

あの時、私はどんな表情をしたのだろうか。
いくつものテストに、どれも鈍臭いと評価をされている気分だった。
別に結果を書く先生たちが、わざわざそんなことを言っているわけではないのに
「この子はダメね」
そう思われていると思っていた。

ああ。
踏み台昇降までも。
辻野先生までも。
どこまでも、何をやっても、私の評価は低いのだ。

小学生の子どもが、どれぐらい表情をコントロールしたのかは分からないし、辻野先生が、それを汲み取ったかもわからない。
とにかく、私は絶望した。

確か、踏み台昇降は、数分待ってからもう一度脈拍を測る。
どれぐらい脈拍が回復しているかで持久力を診断するためだ。
その間、無駄話はしてはいけないので、次の測定までジッと先生と向かい合わせに座って待った。
早くこの時間が終わればいい。

次の測定の時間のアナウンスが流れると、また辻野先生に腕を突き出す。
さっきと打って変わって、腕が重い。
すると、その腕を取った先生が、私の脈拍に合わせて口ずさんだ。
「トン、トン、トン…」
そしてその数字を紙に書いたあと、ニッカリ笑って言った。
「すごいぞ、一気に回復している。君はとてもいい心臓を持っているな」

えっ?と顔を上げた私に先生はさらに言う。
「とてもいい心臓だ。疲れを一気に消し去る心臓だ。両親に感謝するといい」
そうして私が顔を赤らめたあたりで
「さ、次の人」と、私を送り出した。

君の心臓はとても良い。

よっぽど嬉しかったのだろう。
私は、帰ってすぐさま母に報告した。
「お母さん!私の心臓すごいって!疲れを消すんだって!」
母は「えー?心臓ー?」とクスクス笑っていた。


例えばあれが中学生になっている私で、もっと捻くれたものの見方をする時期だったら
「心臓って…そんな無理やり褒めんでも」と不貞腐れたのかもしれない。
脈をちょっと測った程度で何を大袈裟な。

だけど、あの日の私は、自信に溢れていた。
「君の心臓はとても良い」
ファンタジーならとって食われそうなセリフだけれど、私の中心で鼓動するその臓器への賛辞は、丸ごと私への賛辞だったのだ。
後日、送られてきた結果には、やたらC、Dが並んでいたけれど、例年ほどショックじゃなかったのは、私の心臓が正確に音を刻んでいたからだろう。


私ね、辻野先生。
先生のその一言を今もずっと覚えているんです。
不思議なもんです。
同じく運動音痴な娘が落ち込んだ時も、同じことを言いました。
私の時ほど響いたかは分からないけど、あの娘もいい心臓を持ってると思います。
私はあの時よりずっと体力が衰えたけども、今もいい感じにときめいてくれてる心臓です。
きっと最後の最期までいい音を刻んでくれると思います。
そうそう、今って踏み台昇降、測定項目からなくなったらしいですよ?ちょっと残念ですよね。



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つるちゃんの『羽ばたく本棚』に、この辻野先生との図書の時間を書いたエッセイを寄稿しています。
題して『辻野先生の課題図書』
辻野先生は、私が小学校を卒業して間もなく他界されました。
本当に大好きだったので、あえての実名であります。
つるちゃんの面白すぎるエッセイと共に、是非読んでみてください♪

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