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春を疑い、足を愛でる

私には、自死に追い込まれた親族が二人いる。全然別のタイミングで、全く違う原因で。
この内容についての重く辛い話をする気はないので割愛する。思わせぶりで申し訳ない。
ただ言えるのは、この二人の記憶がひどく朧げなのだけれど、両者とも、とても明るくて快活で、そのような傾向があるようには全く見えない人だったこと。一人については、私が幼すぎて記憶がほぼないが、母がそう表現していた。


母がその話を詳しくしたのは一度。
私が、遠い札幌で子供を産み、ほとんど一人きりで平日を過ごさなければならなくなる時だ。
札幌には6年住んでいて仲の良い友達もいたが、ちょうど私が子供を産む頃に、彼女らは次々と本州へ転勤して行ってしまった。11月に子供を産んですぐ雪がちらつき、あっという間にそれらは根雪になっていった。一人で歩くのも怖いのに、まさか産んだばかりの我が子を抱いて散歩に出るという選択肢はなかった。部屋から一歩も出ない毎日が続く。
夫はその頃、とてもハードに働いていて、帰ってくるのは10時から11時。土日も時々仕事に行かなければならない日があった。
母は、出産してから一ヶ月ほど札幌にいてくれて、産後の肥立がいかに大切かについてをよく語って聞かせながら、私の精神状態を観察していた。一人で子供を風呂に入れる方法を考え、効率よく早く楽にする食事を提案し、体を冷やさないようにお乳を与えるためのウールのストールを編んでくれたりした。そうして、事あるごとにこう言う。
「今のこの環境からすると、あんた産後鬱になっても全然おかしくないからね」
「脅さないでよ、大丈夫よ、そんなのなった事ないもん」
私はバカバカしいと笑った。
そしたら母はとても真剣な顔になって、二人の名前を出したのだ。

二人は、産後鬱とはまるで関係ない。何を言い出すのだろうと思った。
彼女たちについて話すのは、重く錆びついたドアを無理やりこじ開ける作業が必要になる。それは、そのドアを支えている壁をも壊しかねないし、開けたところで、中に籠ったその空気を感じるのはとても恐ろしい事だったので、今までも一度も、挑戦さえもしたことがないはずだ。
何も、この世に誕生したばかりの生命力溢れる赤子の前でしなくてもいい話ではないかと、腹立たしささえ感じた。

しかし、長い話の後、母が言いたいことが理解できた。

みんな、自分は大丈夫だと思っていること。
見守っていたはずの他者も、まさかそこまで追い込まれているとは信じていないこと。
自死とは、悩んで計画的に行われるのではなく、「死にたい」と漏らして警戒を促されるものでもなく、もっとずっと突発的に行われること。
あなたには、間違いなく、その危うい親族と同じ血が流れていること。
常に、自分を疑っていなさい。常に疑って、少しでも予兆を感じたら、必ず報告しなさい。泣いて喚いて、異常事態であることを自他ともに自覚するよう努めなさい。

口調はもっとざっくばらんだった。
おせっかいおばちゃんの口調で、できる限り重さを取り除いたもので、これから札幌で、ほとんど一人で子育てをする私が、明るい気分でいられるよう配慮されていた。残された者の苦しみは、今もまだちゃんと聞けていない。

それから私は無事、札幌の冬を乗り越え、さらに転勤が決まり、熊本での新しい環境作りをするときも、母の言葉を何度も思い出した。
『常に自分を疑っていなさい』
大丈夫?本当に?無理している?その無理は、手放せそう?
元気、体は動く、だから大丈夫だって?それは本当?

常に疑うとは、常に自分と話をするということだった。ほんの少しの気分の変化や体の変化も、しっかりと見定めないと、もしかすると気が付かないことがあるかもしれない。
そのためのメンテナンスも細かくしている。いや、これはもはや趣味。

体は箱だ。道具箱である。
箱は、キレイで使い勝手がいい方がいいに決まっているのだ。
なので、朝の散歩に連れて行ってやる。いい便が出たら褒めてやる。
夜更かししたら時々叱る。まあでも、楽しかったんだねと一緒に喜ぶ。
できるだけ栄養があるものを与える。砂糖をとり過ぎたら使い勝手が悪くなるからすぐバレるんだよ、と教えてあげる。
何より、足の裏を褒める。今日も1日支えてくれてありがとう。

案外、箱のメンテナンスを上手にしておくと、あまり自分と会話をしなくても
「本日も上々なり」という一言で終わる。
メンテナンス作業が滞ったら、自分を疑う。
メンテナンスの気力が無くなることがまず警報の最初だからだ。


もうすぐ春が来るはずだ。
この寒波を乗り越えれば、あたたかな春。
そこが一番危ないらしい。
世界が生命力に溢れるというのは、そのエネルギーを真っ向から浴びることになる。歯を食いしばってあと少し、もう少しと耐えて来た人は、待ち望んだ温かさに、身体が楽になったと勘違いしてしまう。芽吹く時、一度大地が割れてしまうように、そのわずかなヒビが最後の余力を奪ってしまうことがあるらしい。
ありがたいと言えるだろう、今の私は、まだそこをきちんと理解出来ていない。


実は仕事終わりに、職場で「私、鬱かもしれないの」と告白された。
仕事が原因ではなく、団体競技の習い事で少しずつ追い込まれていたのだそう。身体と心の不調が続き、更年期を疑って婦人科に行ったら警告されたそうだ。
「フラダンスをやっていたって言っていたよね?時間的にも体力的にもハードになった時、辛い気持ちになったことはない?自分だけがうまくやれないと思ったことはない?」と、何度か聞かれて、どうしたのだろうとは思っていた。
少しずつ追い込まれて、日常がうまく送れなくて、子供にも職場にも迷惑をかけていて、自分の価値がどんどんなくなっていく感じなのだと言う。
それについての答えを私は持っていない。ただ、聞いた。気の利いたようなアドバイスはもちろん、共感するのも間違っているような気がして、ただ、狼狽えて聞いた。
ただの趣味なのだから原因になっている習い事を辞めればいい、という単純な話しではないということだけは、趣味に打ち込んでしまうタイプの私にはよく分かっていた。

それで、ようやく最後に繰り出せたのは、足の裏の話だった。
「気晴らしに足を温めてください。足の裏はね、黙ってずっと頑張ってるんですよ。だから、顔のケアするのと同じぐらいの気持ちで、毎日足の裏を愛でて温めて」
何それ、とその人は笑った。笑った後、すぐ靴下を脱いで、「どうやって?」と聞いてくれた。
だから私は丁寧に、自分のやっていることを伝えた。

・足の指を前後させたり回したりして指の間を心地よく広げる
・しょっちゅう手のひらで温めてあげる。汚いと考えるのは間違いで、家にいるときは、気が向けばすぐ触ってあげている
・風呂上がりは特にじっくりクリームを塗ってケア
・冷え取りソックスを履かせてあげる

「体の中で、おそらく1番無視されがちだけど、小さな面積で身体を支えてくれてるんです。価値は気づいてあげないと、無いみたいに感じてしまいます」

これが言いたかった。伝わったか分からない。
私もおせっかいなおばちゃんみたいな口調で言った。
彼女の悩みが大きいとか小さいとか、まだ大丈夫とか、そんなことは誰にも分からない。
季節は正しく一定方向へ進むのに、人は時々思いがけない方向に進んでしまうことがある。
疑った方がいい。
「大丈夫なんだけどね」
と笑うその人に、もうすぐ春が来るからね。だから、大丈夫なんかじゃないんだよ。そう言って外を見たら、雪がチラついていた。
あたたかくしてね。
あとはそれしか言えないのがもどかしかった。








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