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私の美術鑑賞は細胞派
多分、中学生の頃だったと思うのだけれど、水戸市の美術館に、ミレーの『落穂拾い』を観に行ったことがある。
特に絵に興味があったわけではなかった。
ただ、美術の教科書に載っている、有名な絵の本物が観られるんだって、じゃあ行ってみるか、ぐらいの気持ちだった気がする。
入館すると、落穂拾いの前だけ、それはもうすごい人だかりで絵の上部しか見ることが出来ない。
ただ、それは思いの外大きな絵だった。落穂拾いの上部のくすんだ空の色が目に飛び込んでくる。
ただごとではない空だった。
風が吹いたら、雲が流れ出すんじゃないかと思った。
気分は『フランダースの犬』のネロである。
どうしても観たい。
絵に群がる人々が、固く閉ざされたカーテンに見えてくる。
パトラッシュ、私はまだ全然疲れてないけども、ご覧あれがミレーの絵だと言いたい。
根気よく、人々が次の絵に流れていくのを待った。
絵の一番前を陣取るまで、私は決して諦めなかった。
そうしていよいよ一番前から見た絵の衝撃は、中学生の少ない語彙力では語れなかった。
とにかく今にも動き出しそうとしか言いようがない。
どうしたって絵であるはずなのに、写真よりリアルに感じるのはなぜなのだろう。
絵、そのものから出る気迫なのかオーラなのか。
隅から隅までまで、ほんのわずかほどの緩みもなく、緊張感が漂うその迫力に、すっかり息が止まっていた。
それから、絵画鑑賞に目覚めたわけではない。
「やっぱ本物はスゲーや!」
という、その感覚が残っただけであった。
そして、大阪の暮らしに慣れてきた頃だ。
モネが中之島美術館に展示されることを知った。
「やっぱ都会はスゲーや!」
と、意気揚々と向かったら、入館するまでに1時間、チケット買うのに1時間ぐらいの行列が出来ていた。そういう意味で都会を褒めた訳ではない。
その日は家族と美術館に向かっていて「本物を見ておくのはとてもいい」などと、ミレーしか見たことがないくせに講釈を垂れていた私は、家族から冷たい視線を浴びた。
「ねぇ、どうしても見なきゃダメ?」
夫と娘はすでに戦意喪失である。
この状況下で、大した興味も持ってない絵を見たところで、ネガティブな気持ちしか湧かないはずだ。
私たちは早々に諦め、踵を返した。
後日、平日に1人でモネ展へ向かったら、スルリと入館出来た。
最初からこうすればよかったのだ。
1枚1枚丁寧に鑑賞したら、3時間以上が経っていた。
しかも、太っ腹モネ展は、後半、写真撮影OKの絵画がたくさんあって、肉眼で観る、写真を撮る、肉眼で観るを繰り返し、大変に忙しい。
モネは、ミレーとはまた違った印象だった。
近くで見れば見るほど、輪郭がぼやけて、絵の具の厚みが柔らかな布団みたいだった。
それから、一歩、また一歩と後退しながら絵を眺めていくと、絵が浮かび上がってくる。
感じるのは、気迫というより安堵に近い。
夢の中で、魂がぼんやりと揺蕩っている感じになった。
これはあくまで私の感じ方なので、モネがどんな風な画家であったかとか、そういう知識的なことは一切割愛、知ったところで、ごめん、本当にすぐ忘れる。
そうして、最後の土産コーナーでは『睡蓮』の絵がモチーフになっている缶や、栞を買い漁った。
土産物はどれも素敵だったのだけれど、やっぱり本物から出ているオーラは別格だと認識する作業がこれまた楽しかった。
絵画鑑賞にすっかり味を占めた私は、現在、堂島リバーフォーラムで行われている、没入型美術館『Immersive Museum 2024』へ向かった。
今回は、オリちゃんと一緒である。
そこには本物の絵はない。
正直に言って、本物から漏れ出てしまうオーラを感じたかったので、言うても映像でしょう?ぐらいの気持ちであった。
会場には、床にクッションソファが散らばっており、思い思いに人びとがくつろいでいた。
四方360度スクリーンになっていて、スーラ、シニャック、ピサロ、セザンヌ、ゴーガン、そしてゴッホの絵が、音楽と共に、次々にスクリーンを埋めていく。
「新・感・覚!!」
ゴロリ寝そっべっていたはずの背中が徐々に伸び、前のめりになっていた。
床にさえも映像が映し出されて、自分も作品の一部になっていく。
絵を観る、本を読む、という、無音の集中は、細胞の余白の部分に染み込ませるイメージだ。
自分の体温で溶かして、自分のペースでじっくり身体に煮溶かしていく。
対して、映像や音楽というのは、自分の温度に関係なく、細胞と攪拌していくイメージがある。
どちらが良いとか、どちらが好きとかではない。
どちらも、違う方法で身体に入ってぐるり巡って、心臓あたりで心音とはまた別の鼓動が生まれる気がする。
百年以上前にこの世を去ったゴッホは、自分の絵がこのように鑑賞されるとは思ってもみないはずだ。
絵が動き、さわめき、揺れ、散る。
面白がるのだろうか、それとも怒るのだろうか。
この鬼才たちに、この技術を与えたら、もしかすると今ある映像のさらに上をいく絵の世界を作ってしまうのではないだろうか。
頭の中で、想像が目まぐるしくなったあたりで映像が終わった。
鑑賞は、そのまま何ターンでもいけるので、オリちゃんと、そのまま2周目を観た。
思いっきり寝転がって、出来るだけ頭を空っぽにすることにした。
細胞が忙しく攪拌されるのに身を任せた。
頭を空っぽにすると、どんなに気圧されていてもほんのちょっと睡魔に襲われることを知る。
別段知識も何もない。感覚だけで鑑賞している。
感想を語り合おうとも思っていないし、実際、私とオリちゃんは「凄かったねぇ!」とひとしきり盛り上がったが、知識を増やした記憶は全くない。
それがとても楽しかった。
だから、私がこれからたくさんの画家の絵を鑑賞することになったとしても
「この画家は何派?」とか聞かないでほしい。
強いていうなら、細胞浸透派か、細胞攪拌派、細胞活性派、細胞安定派、なんなんそれ、ということしか答えられる気がしない。
それでも私は、これからも、機会があれば絵を鑑賞したいと思う。
こちらに映像があります。
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