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愛された犬は来世で風となり、あなたの日々を何度も撫でる。


↑木下龍也さん
あなたのための短歌集より



我が家には犬が暮らしていたことがある。ボストンリアの雌。2000年にやってきて、2011年に去っていった。彼女の名前は「バギー」という。偶然見かけたXでこの言葉が心に響いてしまった。




-父が亡くなった年。
今思えば、心の穴を埋めるべくやってきた。

私はどちらかとえいば、グレートピレニーズやセントバーナードに代表される超大型犬が好みだった。マンション住まいで音問題。当初は犬ではなく猫を探していた記憶がある。「スコティッシュホールド」という耳垂れの仔猫に気持ちは傾いていた。

情報を聞きつけ近所のペットショップに駆けつけた。スコティッシュホールドを初めて見るワクワク感。ケージの前でドキドキしていると背中の方から何やら気配を感じる。それは猫ではなく犬だった。お尻を向けて丸まって。うらめしそうにこちらを見つめていた。その姿が気になってゲージから犬の方を出してもらった。

-わんぱく。
いや、おてんばかな。

扉が開くと一変した。先ほどの物憂げな静けさを吹き飛ばし。リモコンカーのようにクルクル回る。頭突きばりに突進してきて、撫でる手にじゃれながらヨダレを撒き散らしたのも束の間。店内を猛ダッシュで駆けまわった。思わず爆笑してしまった。しばらくして店の方に抱き上げられ収容されると、お尻を向けて丸まって、大人しくうらめしそうにまた、こちらを見つめている。

-ダンボールに入れられて
冬だった。父の納骨をしに雪の網走へ。

その帰りに迎えに行くことにした。最低限の準備は整えてある。躾の本は読み漁ったが、どれも極端な内容だったので参考にはしなかった。家についてリビングの柵の中に。疲れていたのかすぐに寝ついた。夜中に何度か様子を見に行くと。

グゥ、、ふごっ。グゥ〜ぶしゅ。

驚いた。犬のいびきをはじめて聞いたのだ。生後四ヶ月の立派な寝息が我が家の静かだった夜に鳴り響いていた。


-名前は「バギー」
その名の通り走り回り。イギー同様にクレバーな犬だった。

ジョジョの奇妙な冒険
イギー初登場シーンより


掟があった。躾は成功も失敗もあれど。それはバギーが死ぬまで貫いたことがひとつある。「一緒の布団では寝ない」だった。ソファーでのうたたねはいくらでも許されていたが、人間と犬の区別はつけておこうと思っていた。初日から別々の部屋でおやすみをした。


出会いから我が家に来るまで。デジタルメモリーに頼らなくても。記憶にしっかり刻まれている思い出のひとつ。バギーも向こうで、こちらを思い出したのだろうか。いや、もう二度目の生まれ変わりを終える頃かな。など深読みしてしまう。

今では独りで早朝六時の川沿いを走る。愛犬なしになってから久しい。会社の後輩から14年付き添った「こうめちゃん」という犬が亡くなったと聞いた。私も会ったことがあるので覚えている。その影響もあるのかも知れない。


バギーとは流山で四年近く過ごした。その後は大阪で七年。途中新潟にも一年近く。北海道にも連れて行ったことがある。今思えば、日本を股にかけた女だった笑。

ひとつひとつを拾えば、3000字を超えるくらい。たくさんのエピソードがありすぎて困る。バギーを語るに欠かせないのは、不可解な義母の死や子供が出来ずに崩れかけた絆など。人生の苦しい時にその愛嬌で救ってくれたこと。私たちの周りに起きる生死のどちらにも寄り添って光を与える存在だった。親戚含めて触れ合った家族全員は、この犬に感謝しかない。本当に我が家に来てくれてありがとう。

まだまだ書き足りない。そんなバギーとの暮らしで、私だけが与えてもらったことを考えてみる。今まで気づけなかったことが浮かんできた。なるほど、、

子育て。教育。親の介護。そして旅立ち。

それを、見事なくらいに擬似体験させてくれている。バギーも癌だった。病院に週末ごとに通い。手術をして緩やかにはなったが衰えは早かった。流山時代の柏の葉公園の散歩では、こちらも三十代。今より体力に自信はあったが、私の本気のダッシュを後から追い抜いて立ち止まり。振り向いてドヤ顔をするくらいマッチョな犬だった。それが末期の一年では後ろ足を引きずるようになり、大好きだった散歩も目が見えなくなってからは、恐ろしくて震えていた。

笑いに満ちた体験がほとんどだったが、私だけのものがひとつだけある。今でも彼女が旅立った日を忘れない。このエピソードで終わりにします。やはりどうしても長くなりすみません。

-2011年1月10日。

この日は、休日出勤で来期予算の打ち合わせをしに会社に出ていた。もうその頃はソファの上で横たわるだけのバギー。「いよいよかも」と危篤を知らせる携帯が鳴った。上司も理解があって帰してくれた。

急いでリビングの彼女のもとに。あれだけ賢かったのに。決して人を噛むことなんてしなかった。無駄吠えもなかった。息子が生まれた時は、自分でもお乳を出すほど家族を愛してくれた犬だった。ほぼ動ける状態じゃないのに、薬を飲ませるときは手袋をしなければ、こちらの手が傷だらけになるほど抵抗する。それほど変貌してしまった。

見た瞬間。悟った。

もう数分ももたないくらいだ。舌を出しながら、静かな息を繰り返す。ギリギリ間に合った。もう誰なのかもわかっていないだろう。私は咄嗟にバギーの胸に手を当てた。

トク。トクトク。トク、、、

不規則に。間隔が長くなる。

トク。。ト、、。トク。ト、、。。

最後の心臓の音が手に伝わってきた。

生命が尽きる瞬間をはじめて体験した。死に目に遭うことはその後の人生で一度もない。なぜ、その時、手を胸に当てたのかはわからない。手のひらで終わっていくバギーの鼓動。私だけに与えた彼女の生き様だった。

物言わぬ君。

一生を生き抜くとはこうなんだよ。
と教えてくれたように思う。11年に詰まった彼女の咲き枯れ。悔いや恨みなどなく堂々としたものを感じる。いつも腹ペコで鼻を鳴らしていたのはご愛嬌。もうここまで深く思い出すことはないかもしれないけど。もう一度言います



バギーありがとう。






ここまでお読みくださって
貴重なお時間を
本当にありがとうございます。

ゆうなって


今度読んでみます!






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