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しあわせになりたいって思ったら、自分を変える努力をするのが1番手っ取り早い。

わたしには、結婚する前に数年同棲していた彼氏と別れた経緯がある。

トーちゃんとロッテくんのパパだった人物である。彼が、どうしても猫を飼いたいと言って、ふたりを迎え入れた。 

左がトーちゃん。右がロッテくん。
可愛すぎる。可愛すぎて震える。

彼氏と言っても、一緒に住み始めてからずっとレスで、手を繋ぐこともなく、親友のような関係であった。しかし、今思えば布団をかけ直してくれたりしていて、そういう関係だった。毎週一緒にお出かけしていたし、一緒に暮らしているのに頻繁にLINEしていた。

別れてからも猫の写真を送ったり、LINEのやりとりはあった。そして、彼の幼馴染である親友ともときおり近況報告しあっていた。

元彼は、フリーターの上にお仕事が続かないタイプで、わたしは当時かなり苦労したし、不安も多かった。しかし、ふたりしてトーちゃんとロッテくんを溺愛していて、とても楽しかった。

どちらかと言えばロッテくんがパパ派で、トーちゃんがかあさん派であった。

ロッテくんが、パパが居ない時にかあさんに甘えると、トーちゃんに容赦なく殴られていた。家庭内暴力である。

でも、かあさんとパパがさよならして、かあさんの実家で暮らすようになると、ロッテくんがかあさんに甘えてもトーちゃんは我慢するようになった。猫界においても、女子の立ち回りは男子の比ではないことが立証された。
ちなみにお別れした理由は、お仕事のこと、お金のこと、それにまつわるエトセトラだ。実家に戻って1年後に会ったけど、また一緒に暮らすのは無理だと判断して、判決を言い渡し、わたしは婚活を始めた。

ちなみにこのnoteを始めたのは、元彼と一緒に住んでた頃である。

わたしと別れたあとは紆余曲折を経て今年は幼馴染のもとに身を寄せていたらしいが、その幼馴染から、やつを追い出した、と連絡があった。

理由は、仕事しない、生活費も払わないとのことである。ニート、あるいはヒモである。

LINEのやりとりで話を聞いているうちに、わたしと暮らしていたときと変わってないなあと思った。

そして、その他責思考マインドが元夫とリンクしすぎていて、ああーと思った。

ああーというのは、自分は結局、同じような人を選んだんだなと思ったのだ。

他責思考で、不器用で、わがままで、人に甘えるのが上手な男の面倒を見て、楽しくても感謝はされず、さよならする。

でもそれって、自分がそうだったからなんだ。

他責思考で、不器用で、わがままで、人に甘えるのが上手な女だったと思う。そうやって、二十代、三十代を生きてきた。

なんかもうそーゆーのやめよ。って思った。
なんか、その界隈で彷徨ってたのかなと。

おもしろいけどさ。
もういいかなって。
もう。

だって結局、他人との関係性の中でしか自分を見つけられないって、常に不安定。

そーゆーのが依存とかモラハラとかDVとかの歪みにつながるんだろう。

自分 と 自分 の 関係性

てとこが確立されてないと

他者の関係性のありがたみがわからないんじゃないか

と思う。


人は、ひとりでは生きていけないと思う。

他責思考の彼らは、自分を大切にできてないんだと思う。かつてわたしがそうだったように。

どうしようもないんだ。

しあわせになりたいって認めて。

誰かがしあわせを運んできてくれる妄想を捨てて。

堅実に生きて。

自分が一生、責任を持って、自分の面倒を見るって覚悟して。

頼れる親が居なくても、友達が居なくても、自分が自分の親がわりになって。なんでも話せる親友になって。

そうやって自立して、はじめて、

まわりの人の真心に感謝できるのだと思う。


がんばっている人が他責思考じゃないとは限らない。なので、自分はがんばっているから他責思考じゃないと考えるのは違う。

他責思考って、自分に合う人や環境を求めることだと思う。そして、パートナーや身近な人に、そんな自分を受け入れてもらいたがる。
自分が変わることから逃げてるってこと。

変わりたくないってことは、そもそも、自分が、今の自分を受け入れられてないからなんじゃないかと思う。


でも、しあわせになりたいって思ったら、自分を変える努力をするのが1番手っ取り早い。
他人を変えるのは無理だし、環境を変えても同じことを繰り返す。


わたしは、しあわせな人生をつくっていきたいよ。そのために、地道に実直に、日々を過ごしていきたいよ。

これからは、同じように考えて行動している人と関わりたいと思うよ。






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