『痛いところがない』ことを大切にするようになったことについて
ある日から、日々の目標に『痛いところがない』ことが追加されるようになった。
そのきっかけは、仕事を頑張りすぎて肩を痛めてしまったこと。
わたしはスーパーのレジの仕事をしていて、夏は仕事が忙しく、毎日限界を超えるスピードでスキャンしていたら、肩を壊したのである。
肩を痛めると、というか、どこかしら痛いところがあると、それのことばかり気になってしまい、毎日がしんどくなってしまう。例えば、爪のほんの小さなささくれであっても、痛みがあるとやっぱり気になるもので、痛みが大きいほど、常につらい状態が続く。
肩の痛みは、大変忙しい日に無理をすると、翌日痛めたことに気づき、程度にもよるが、それはすぐには治らなかったりする。
最初のうちは痛みをとるストレッチなどしていたが、なかなか良くならないので、そもそもなぜ痛めたかを考えてみた。その結果、夏の時期暑くなると、飲料の購入が増えて、二リットルのペットボトルを片手で持ってスピードスキャンを何回もすると肩に負担がかかって、痛めるのではないか、ということが考えられた。
試しに、重いものを扱うときに勢いをつけないように両手で慎重に、気をつけるようにしたら、それだけで治った。
なんということだ。仕事を全力で一生懸命頑張っていただけなのに、自分の身体を痛めつけていたことに気づいていなかったとは、、、。
今思えば、昔からとにかく仕事を頑張りすぎて、誰に頼まれていないのに精神的にも肉体的にも能力的にも、限界に挑戦していた。仕事は全力で頑張るもの、という思い込みがあったのだと思う。
わたしは、見えていなかったと思う。
頑張ること自体が悪いことではないけれど
『仕事を一生懸命頑張る』ことと、
『痛いところがない』こと
このふたつを両立させることが、できていなかったことに気づいた。できていなかったというか、思いつかなかったというか。
そもそも、痛いところがあると、仕事も頑張れないし。
身体に痛みが出ると、その痛みを治すばかりを考えていたけれど、そもそも痛くなった原因となる行動をやめないと、痛みは繰り返されるということに気づいた。
自分が思っているほど、自分の心も身体もそんなに強くはない。
頑張れるだけ頑張ったら、そのあとがけっこうキツイ。それは年齢のせいかというとそんなこともなくて、『いま、このペースで頑張ることを続けたら、あとでしんどくなる。』って、自覚して、行動を軌道修正することが大切だと思う。
『痛いところがない』ことを目標に設定したら、『痛くならないように過ごす』ことが必要で、さらに『痛くなる前の前触れの段階で気づき、行動を変える』ことができれば、『痛いところがない』状態にだいぶ近づくことができると思う。
(ちなみに、昔、腰痛が悪化したことがあり、仕事を辞めたらあっさり治った。結局、そういうことなんだろう。)
これ、実際にあった肉体的な痛みの話だけれども、精神的な痛みにも、きっと通ずるものがあるのだと思うんだ。