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【詩小説】満ち足りた貧者



彼は礼拝に通い、オルガンを弾いて生活していた。

熱心に神を信じていた彼は、天の声を聞くことができた。

天の声を書き記そうと、五線譜に向かった。

聞いた人もまた天の声を聞けると思っていた。


けれどもそれを演奏すると、聴衆はひとりまたひとりと立ち去った。

曲に最後まで耳を傾ける者はいなかった。

彼は演奏を終えると肩を落とした。

天の声を十分に伝えきれていないのだと思った。


けれども彼は作曲をやめなかった。

天の声を音楽として人々に伝える使命を感じていた。


彼は乏しい生活の資で暮らしていた。

教会に行き、オルガンを弾き、作曲をするだけで生活が完結していた。


生み出した曲が評価されないまま長い年月が過ぎた。

彼の腰は曲がり、髪はすっかり白くなっていた。


その頃になってようやく彼の演奏に耳を傾ける人が現れた。

ひとり、ふたりとオルガンの周りに集まった。

噂を聞きつけた人々がさらに彼の周りに群がった。


その頃にはすでに心臓をわずらっていた。

残された時間はわずからしかった。


人生の残り時間を意識した彼は霊感を得た。

生涯の総決算となる曲の着想が生まれた。


歩行に障害が出てきて、右腕は麻痺しても五線譜に向かうことをやめなかった。

支持する人たちからの援助を受けながら作曲を続けた。

最後の曲を完成させた。

震える手で音符を書き終えると、これで天命を果たしたと思った。 

涙が止めどもなく流れた。

その3日後に彼は心不全により天に召された。


彼は貧しい生涯を送った。

けれども自身の使命を自覚し、それを果たしてからこの世を去った。

他の誰よりも満ち足りた生涯を送ったのだった。





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