ドリップの結果が示す、道具のルーツの問題点と希望
前回のゆるコーヒー会、豆のレベルが良すぎて突出した結果が出にくい傾向になりました。自分の視点をあえて書くとするならば、コーヒードリップに施されている数々の手法には、それが生まれた背景と設計思想がある、というのが如実に出た会だったような気がしてます。
いい豆の前では、小手先の手法が通じなかった、ということです。
抽出器具が生まれる背景は、
1)しょぼい豆をどうやっておいしく楽しむことができるか
2)どうすれば努力しなくてもおいしいコーヒーを淹れることができるのか、
のどちらか、あるいは両方の理由があると感じてます。おいしい豆のポテンシャルを伸ばす、というのはほとんどなく、
淹れる人間の抽出スキルのなさをどうカバーするのか、
というものばかりです。
何個か具体例を挙げてみましょう。
コーヒードリップシャワーは、注いだお湯を点滴状にしてドリッパーに注湯する補助器具です。インスタなどで多数かっこよく紹介されていますが。。。要は点滴のスキルがない人がとびつくサポート器具、です。実際にこれで淹れてみたところ、にごった食感が多く、繊細な結果をもたらす点滴ドリップにはほどとおい結果に。。しかしそれでもじゃーっとお湯を土砂崩れのように注ぐよりはマシなものになりますが、それ以上のレベルを求めるとなると、とてもじゃないけれど満足感は得られない器具です。
クレバードリッパーとハリオスイッチドリッパーは、透過式と浸漬式の良さをうまく活用したもの、としていますが、浸漬時間が多いドリップレシピが多く、その設計思想はフレンチプレスが発祥です。フレンチプレスの問題点である、微粉が混じる問題をペーパーフィルタリングで対応し、金属メッシュから出てしまうコク重視の香味を嫌うアジア系の味覚に沿った仕上がりになる構造は、ドリップをちゃちゃっとすませたい人に支持されていますが。。。要は自分のドリップ技術をはしょった器具に過ぎない、とわたしは感じてますし、結果もにごったフレーバーでおいしいものとはとてもじゃないけれど言えません。コンテストなどで使用されていますが、チョイスした豆のクオリティが段違いによいので、その半分くらいの能力を引き出せれば、上位入賞は確実です。大体こういうのを再現してみても、豆の能力がしっかりと出ているとはいいがたいです。
もうちょっとドリップに対する技術を俯瞰してみると。。。たとえば、低温で抽出設定するのは、高温で顕著に出るえぐみや苦味、雑味など低級品の豆にありがちな特徴をごまかすために生まれた設計思想です。えぐみがそもそもないクリーンなスペシャルティ、かつ、SCA評価で86点以上もの超高得点銘柄に対して、低温抽出はまったく意味がない、と言えますしそういう結果でした。高温で引き出せるはずのフレーバーが低温では出にくくなり、ぼんやりした香味感、にごったような感覚を伴う結果がおおかったのです。
水をあらためて濾過したり、逆にリンスして臭みを消す手間をかけたりも、水質に対する対策から来ています。前者は残念な水道水をどうするか、というところから来てますし、後者はペーパーフィルターに使われているクサイ紙のニオイ対策が第一でした。ゆるコーヒー会ではph6前後の軟水型ミネラルウオーターを使ってるので、水道水に含まれる残念な物質の数々はそもそもありません。また、近年の技術革新で、コーノと三洋産業のペーパーフィルター(かつ漂白)は、紙独特の臭いを相当取る進歩を遂げていますので、それらを使う人たちにリンスは基本的に不要、とも言えます。
補足)ペーパーをリンスするメリットとして、うまみ成分を紙に吸わせずに落とす、という効果もあります。なぜリンスするのか、という明確な理由がわかってるリンスなら、価値はありますが、大抵の人のリンスは、ただ教えられてからやってる、というものです。わかって活用してるなら、それは一定の効果を出せるでしょう。
それでも私は、たくさんのスタイルを披露してもらいたい
こう書いてしまうと、いろいろな手法の自由な表現の場が奪われてしまうような感覚になってしまうと思いますが、いい豆を前にしたときに、最適な手法を選び、思った以上の結果をもたらすという奇跡を、私は待ち望んでいるのも事実なのです。設計思想はしょぼくても、その器具が何らかの使われ方をしてキラリと光る結果をもたらすことも、私はゆるコーヒー会でたくさん経験しています。だからこそ、プロに洗脳されたドリップではなく、個々の自宅で自由に使われてきた道具たちの今を知りたいと思うのです。
道具にとらわれず、おいしい豆をどうやって攻略しようか、という設計思想を、参加者には持ってもらいたいのです。どこかのコンテストで優勝した人が監修した道具や、手法に心酔して自分も同じ器具を手にしたけれど、その使われ方は独自の進化を遂げた、という結果に、私は出会いたい。
その道具を使い続けて、自分なりのやり方を見出したなら、それを披露してもらいたい。
自由な視点。自由なドリップ。そこから得られる奇跡を、みんなで共有したいのです。