機動戦士ガンダム 全話レビュー第40話 「エルメスのララァ」
あらすじ
連邦軍は、ア・バオア・クーとグラナダを結ぶジオンの最終防衛線を突破する「星一号作戦」の準備を着々と進めていた。そのころジオンでは、コロニー<マハル>の住民150万人が強制退去させられていた。このコロニーを、最終兵器「ソーラシステム」として使用するというのだ。この動きに対する報告を受けたキシリアは、ギレンの言動の裏にひそむ野心に疑惑をいだく。
脚本/荒木芳久 演出/関田修 絵コンテ/斧谷稔 作画監督/
コメント
34話「宿命の出会い」から6話を経過して、ようやくニュータイプ戦士ララァ・スンが参戦する。お互いのことを知らずに<サイド6>で出会ったアムロもまた、急速にニュータイプと呼ばれるような能力を開花させている。二人のぶつかり合いは、特別なものになるだろう、と予想されるところである。この回では、ララァとアムロがそれぞれに持っているニュータイプ能力をめぐる周囲の受け止めと距離感とを描きながら、その先への布石を打つ展開となっている。
一方で、この回も含めて残り4話と迫る中で、戦いに勝利した後のギレンの目論見など、重要なトピックにも時間を取られている。戦いそのものよりも、人と人との関係性に注目したい回である。 話の流れを追ってコメントすると冗長になりがちなので、ここでは3つのポイントを挙げて注目点について見ていきたい。
(1)アムロをめぐる、ホワイトベースの人間関係
アムロの反応速度にガンダムの動力系がついていけないという問題から、ブライトはアムロの戦い方が変わったこと、具体的には「ひどく勘がいいというか、先読みをするときがある」ということに言及する。
アムロは違うんだよ。かといって、以前マチルダさんが言っていた、アムロがエスパーだなんて話は信用せんよ。人間がそんな便利に変わるわけないんだ。
アムロは違う、というところでフラウ・ボゥの同意さえ求めているが、一方で、その違いというのを、安易に「人間が超人的な力を持つようになる」といった意味合いで捉えたくないという意思が伺える。能力的な向上、それによる違いは認めつつも、決して特殊な人間ではない、変わらず彼は仲間だという意識がある。
ソロモンに入港後、ガンダムの課題解決のためやってきたモスク・ハン博士とアムロとの会話から感じられることも、これと似ている。マグネット・コーティングという「俺の理論を応用して、ガンダムの動きを早くしようっていうんだ」という博士のやることを不安げに見るアムロだが、説明を聞いて納得するどころか「博士は僕らの救い主です」と言って賞賛している。このときアムロが「僕の」ではなく「僕らの」と言っているところにも注目したい。そのやりとりからは、アムロが博士を信頼し、博士もまたアムロが必ず生き残ると信じていることが伺える。
そのあと、セイラとの短い会話からも、同様のことが伺える。「どう?調子は?」と問いかけるセイラに対して「良好ですけど、動きが早くなった分はメカに負担がかかります。その辺のバランスの取り方が、難しいですね」とアムロが答えると、セイラは「大丈夫よ。その辺は自信を持って。アムロ」と、はじめの頃によく見た謎の上から目線で彼を励まし、こう付け加える。「そうよ。アムロはニュータイプですもの」
そのあとのアムロの返答からも、それが特別彼に疎外感を与える物言いになっていないことがわかる。
アムロは、周囲の仲間から確かに違う能力を持つ、ニュータイプと認識されているが、それでも、そんな彼に忌避感を持ったりすることなく、変わらず信頼されていることが、わかるのである。
こう見ると、アムロは精神的に成長し、安定したといえるが、それはこの状況にあっては、必ずしもよいこととは言い難い。ある意味過剰適応しているのであって、彼は地上でもがいていた時のようには、戦う自分に疑問を持たなくなっており、周囲もまた、そんなアムロをアムロとして受け入れてしまっているのである。もしかしたらただ一人、アムロが自分から離れてしまったと感じているフラウ・ボゥが、そのことの異常さに気づいているのかもしれない。
(2)ララァをめぐる、シャアの遊撃部隊の人間関係
ザンジバルでソロモン空域にいたシャアは、いよいよララァを戦場に投入する。2機のリック・ドムの後ろから、援護をすればいいというのがシャアの指示だったが、サイコミュによる遠隔攻撃により連邦軍の戦艦サラミスを難なく沈めると、様子が一変する。ララァの搭乗する専用機エルメスの前衛を守っていたリック・ドム2機が、エルメスを盾にするように後ろに下がってしまったのである。
そのため、ララァは防御もしなければならなくなり、サイコミュ攻撃に集中できなくなってしまう。
異変に気づいたシャアがゲルググで出撃し、援護に入ることで集中力を取り戻したララァは、もう1隻サラミスを撃沈し、「ララァ、よくやった」というシャアに対して「大佐、援護してくださって、ありがとう」と、信頼関係を強めていることが伺える。
だが一方で、バタシャムら2機のリックドムのパイロットからは、軍法会議ものとは承知の上で、ララァの後ろに回りたいと言われる始末である。ララァのニュータイプ能力を見て、馬鹿馬鹿しくなったと彼らは言うのである。不思議なことには、そんな彼らの言い分を聞いたシャアが、判断をララァに丸投げし、彼女が彼らの言い分を「わかります」と聞き入れてしまうところである。彼らの護衛がなくなったために集中力が続かなかったことは明白なのに、そうは言わなかった。なぜかはわからないが、ララァにとっては、援護をしてくれるのがシャアである方が、より信頼できるということであろうか。
そもそも、こうした問題が出てきたのは、エルメスに搭乗した際ララァに疲労が大きい原因を潰すと、サイコミュの子機であるビットを使長距離からコントロールできなくなる、という状況をよしとして、シャアがその方向でエルメスを調整させたからで、ララァとシャアとの間には、上官と部下、という関係だけでは説明しきれない、互いを思い、いたわり合うような精神的なつながり、といったものが感じられる気がする。さすがのシャアも、ララァに対しては非情になり切れない、というふうに見えるのだ。
そうした中で、シャアとララァは戦場に出れば勝利のために互いを必要とする関係性を築き始めた一方で、他の隊員からは、むしろ距離を置かれている、忌避されているという異様な雰囲気になっているのが、おわかりいただけるのではないだろうか。
(3)本土決戦を前にした、デギンとギレン、キシリアの関係
ジオン公国軍では、グラナダとア・バオア・クーを結ぶ線を最終防衛線とし、本土決戦に備えた準備が進められていた。コロニー・マハルの住民を強制疎開させ、そのコロニーそのものを、兵器に改造しようというのである。その作戦をキリシアは「ギレンのゴリ押しだな」と言っていることからわかる通り、ギレンはここにきて独断専行を始めたのである。
そんなギレンに対して、公王デギンは「そこまでして勝ってどうするのだ」と問いかける。それに対してギレンは
せっかく減った人口です。これ以上増やさずに優良な人種だけを残す。それ以外に人類の永遠の平和は望めません。そして、そのためにはザビ家独裁による人類のコントロールしかありません。
と答える。彼の言う「優良な人種」とは何を意味するのだろうか。ここに明示はされていないが、ここまでの流れからすると、あるいはそれは「ニュータイプ」ということなのかもしれない。しかし、ここでふと首を傾げてしまうのは、同時にここまでの流れで「ニュータイプ」とされているアムロやララァは、果たして優良な人種なのかということである。また、優良な人種だけを残すことで、なぜ永遠の平和が実現できるとギレンは考えているのか、ということも、正直よくわからない。だが、唯一、この言葉だけが、戦後のビジョンを語ったものであるだけに、何か、彼の目指すところに理想があると錯覚してしまいそうなところがある。
それに釘を刺すのが、デギンの次の一言だった。
貴公、知っておるか、アドルフ・ヒトラーを。独裁者でな、世界を読み切れなかった男だ。…貴公はそのヒトラーの尻尾だな。
このセリフの意味するところについて解説する必要はあるまいと思う。アーリア人種至上主義に傾倒したヒトラーが、ユダヤ人虐殺と世界大戦を行った。そんな中世の人物(とギレンが言った)ヒトラーと同様のことをする、ただの尻尾ということだが、重要なのは、これはギレンにというよりも、私たち視聴者に、主人公のアムロやシャアがまだ気づいていない、本当に倒すべき敵はだれかということを教えてくれている、ということではないかと思う。
一方キシリアの配下に組み込まれる形となったシャアとララァだが、謁見した際のキシリアはララァが軍服を着ていないことに終始イライラしている。表面上は、このニュータイプ実戦部隊に期待しているというが、ギレンの差し向けたシャリア・ブルを始末したシャアが、ララァを使ってさらに戦果を上げれば、自分にとっても脅威の存在になる、と内心警戒しているのだろうか。
いずれにせよ、ザビ家の三人、プラスアルファは不協和音を奏で始めているのである。
そんな中で、アムロとシャア、そしてララァが戦場で交錯する。次に、その場面からわかることを、掘り下げてみよう。
この一言! シャアをいじめる悪い人だ
先行した部隊に追いついたホワイトベースは艦隊戦に加わり、出撃したアムロはシャアの存在を感知する。しかし、もう一人、誰かがいた。やってみるか、と戦場へ飛び込んでいくと、アムロはたちまちシャアのゲルググと一騎打ちになり、シャアはこれまでのガンダムとは動きが格段に違う、と舌を巻いた。
ここで、挿入歌「シャアが来る」がかかるのだが、おそらくは、43話に短縮されて打ち切りにならずにいれば、もっとシャアが押してくる状態でこの曲が流れ、シャアが来る恐怖と興奮で大盛り上がりとなったことだろう。だが残念ながら、先に見たように、シャアはララァの援護、護衛という立場に成り下がっており、もはや一対一では歯が立たなくなっているのだった。
連邦のニュータイプが乗るガンダムを自分が仕留めなければ、と思っているララァは、シャアがガンダムに燃やしてきた執念を知る由もなく、一対一に追い込まれたシャアに「大佐、引いてください。危険です」と容赦なく呼びかける。まさに遠隔攻撃兵器の弱点ともいえるのだが、味方がターゲットと近接していれば攻撃できず、自身がターゲットに接近されても攻撃できない。シャアはそのため、ガンダムを離しておくような戦い方をしなければならないのだが、それができずに、ついにはララァに「大佐、どいてください、邪魔です」と言われてしまう。
そしてエルメスとガンダムとがすれ違ったその刹那、振り向きざまにアムロはシャアのゲルググを撃った。わずかに外れて左腕を吹き飛ばすだけに終わったが、それが、ララァの中に強い感情を呼び起こす。
大佐を傷つける‥‥シャアをいじめる悪い人だ
ここへきて、前半(1)でみた通りホワイトベースの中で信頼関係を築き上げて「いい人」になっているかみ見える主人公アムロに投げかけられる、強烈な一言。「誰が、悪い人なんだ?」と、アムロはまさかそれが自分のことであるとは思ってもみない様子である。自らの信じる正義と理想の実現のために戦うジオン軍と、それを阻止するために戦う連邦軍の間にあって、アムロはただ、生き延びるために戦ってきた。しかし、思い出してほしい。かつて11話で見も知らぬ女性イセリナに「がルマ様の仇!」と銃口を向けられたことを。そしてもう一度思い出す。互いに何も知らない相手に武器を向け、殺し合うのが戦争。それこそ、まさに究極の相互不理解の形なのだと。
ララァは結局最後まで軍服を着ることはなかったが(テレビ版では)、それは、彼女にとっての戦争は、ジオンと連邦、という国家を背負った戦いではなく、ただ一人の人間としてシャアに導かれ、そしてシャアを守る、たったそれだけの意義しか感じていないということの表れだったのではないか。
そしてそれはまさに、悲劇の前触れともいえるものだったのである。