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アニメレビュー:宇宙空母ブルーノア(1979)〜海のロマン、男のロマン、ロマン派艦長土門の夢見るロマンティックを実現すべく海を彷徨い何千里‥‥、実は「ガンダム」を相当意識していたのでは?!

ストーリー

 西暦2052年、宇宙から突如飛来してきたゴドム人工惑星により引き起こされた天変地異で、地球は壊滅状態となり、全人口のおよそ9割が失われるという惨禍に見舞われた。世界各所に開設されていた科学技術開発施設「ポイントN1〜N9」のうちN1とN9以外も破壊されてしまった。
 高等科科学院の学生だった主人公の日下真も、学校内でゴドムの襲撃に遭い、崩れてきたコンクリートの下敷きになった科学者の父を眼前で失うことになった。しかし父は死の直前、真に謎のペンダントを手渡した。科学院の同級生らとともに本州を脱出した真らは、ペンダントに導かれるように、小笠原諸島にあるポイントN1へやってきた。そこでは、秘密裏に建造されていた宇宙空母ブルーノアが、いままさに発進しようとしているところだった。
 父の遺志を受け継ぎ、真と仲間たちはその空母に乗り込む。艦長の土門は、彼らをブルーノアから分離して単独航行が可能な潜水艦シイラの乗組員として抜擢。シイラ艦長清水の下でゴトムとの戦いに身を投じてゆく。そしてブルーノアは、バミューダ海域にあるというポイントN9で反重力エンジンを装備し宇宙空母となるべく、太平洋を南下してゆくのだった。

レビュー

 「宇宙戦艦ヤマト」シリーズのレビューをするため、スターチャンネルに登録したところ、本作もラインナップされていたために、参考までに見てみよう、ということになった。というのは本作がちょうど「宇宙戦艦ヤマト2」「新たなる旅立ち」と「ヤマトよ永遠に」の間をぬうようにして制作された作品で、しかも、ヤマト以外の西崎プロデュース作品だったからである。松本零士との著作権問題で、松本零士が著作権者から外されたことで、2013年の「宇宙戦艦ヤマト2199」を皮切りに、松本零士外しのヤマトシリーズがリメイクされ始めているが、それ以前に、西崎義展が松本零士と組まずに制作したSFアニメはどんなものだったのか、一応見ておこうという気構えだった。そうすることで、プロデューサーとしてではなくクリエイターとしての西崎義展の志向と実力というものが、わかるのではないかと思ったからである。
 そして、その目論見は当たっていた。

 <ストーリー>の項で紹介しているように、本作は2052年(今からたったの28年後だ!)という近未来の地球を舞台にしてる。ゴドム人工惑星の攻撃により天変地異が引き起こされ、全人口の9割が死滅したという地球で、空母ブルーノアに導かれた青年日下真と仲間たちが、ゴドム星人と戦うため、ブルーノアに反重力エンジンを装備しようと、エンジン開発が行われているバミューダ海域を目指す、というのがストーリーの大まかな流れである。
 
 この説明からもなんとなく感じられるだろうと思うのだが、ヤマトとガンダムをちゃんぽんにしたような設定ではないだろうか。学生だった主人公と仲間たちが、たまたま導かれてブルーノアに辿り着き、そこで乗組員に抜擢されるなど、なかなかにガンダム的な展開である。しかも主人公・日下真を演じるのはガンダムの主人公アムロ役の古谷徹。ちょうどガンダムではホワイトベースがジャブローを出たあたりの話が放映されている頃から本作はテレビ放映が始まった。同時期に、古谷徹がこの作品でも主人公を演じていたのかと思うと、うむむといろいろ勘ぐりたくなってしまう。
 しかし、あのアムロを熱演していたのと同一人物とは思えないほど、本作の主人公日下真は淡白で存在感が薄く、熱を感じられないキャラである。それだけでも、本作のポテンシャルが伺い知れよう。

 登場する敵キャラも、ヤマトのガミラス星人とは異なりはじめから終わりまで、地球人と同じ肌の色で異星人感があまりない。そんな敵のライバルキャラになっていくのがユルンゲス(声:井上真樹夫)である。イケメン・渋声の敵の将校、まさにシャアを意識しすぎている感じだが、彼がまた、常に上官に異を唱えては明後日の方向に命令違反を犯し、結果的にブルーノアにボコられるという面白キャラになってしまっているのが、意図に反したギャグ風味を醸し出している。

 この敵キャラと対決するのは終盤に入るまではもっぱらブルーノア艦長の土門(声:柴田秀勝)と、シイラ艦長の清水(声:伊武雅刀)である。どちらも中年燻し銀的激渋おじさんであり、彼らの卓越した能力と、困った人を見過ごしにしない人道主義、戦いの中で追い求める男の生き様というロマンによって、物語は進行していくのである。

 であるからして、本来ならブルーノアが建造された小笠原から、反重力エンジンを製造しているバミューダ海域までさっさと行って宇宙に上がればいいところを

南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

 と、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に描かれた人物のごとく、ゴドム星人の来襲で困窮した人、囚われて奴隷にされている人を助けたり、ついでにゴドム星人が建設した軌道エレベーターを破壊するなど、寄り道し放題で地球の海を、北は北極から南は南極付近まで右往左往しておよそ20話がすぎてゆく。だから「宇宙空母」と銘打ってはいるけれど、実質的にはただの空母である。

 いや、ただの空母であるならそれでもいいのだが、この空母はなんと潜水艦としても機能するうえ、艦首部分が分離して潜水艦「シイラ」になり、そのシイラに主人公が搭乗しているので、実質主戦場は海中なのである。だから、空母なら本来かっこいい艦載機が満載で、かっこいいパイロットが大活躍するだろうと思うのだが(例:トップガン)、そうはならず、その戦いぶりはほぼ「戦艦」であり「潜水艦」である。空母こそまさに戦略兵器だと思うのだが、男のロマンに燃えるお人好し艦長土門に戦略たるものはなく、ブルーノアが艦載機も出さず、無防備なまま敵陣に突っ込んでいく姿にただやきもきさせられるばかりの戦闘シーンであった。

主人公の日下真(中央右)とシイラ艦長の清水忠治(中央左)。
ワークマンで買ってきたような制服姿で正直、キャラクターの見分けがつかない。

 ヤマト、ガンダムと継承されてきた「リアル志向」が本作でも伺われ、例えば小型ドローンなど当時の私は存在すら知らなかったような兵器が登場しするなど、本格派を目指した形跡もなくはない。だが、そのリアル志向が災いしてか、キャラクター造形がリアルすぎて地味なおじさん顔ばかりだし、唯一のヒロイン土門ケイ(土門艦長といわくありげな娘)は演歌に出てくる飲み屋の女みたいな雰囲気だし、主人公らの着ている制服はワークマンで売ってる作業着みたいだし、この手に作品に必要不可欠な<華>というものがまったく感じられないのが、なんとも言えず作品全体の印象を薄暗くしている。

 それと、やはり物足りないのは、その語り口である。話を盛り上げようという気を作り手から感じない、とでもいうべきであろうか。本作では、ゴドム人工惑星の攻撃により地球の地軸がずれ、その結果大規模な地殻変動が起こり、大陸の一部が沈下したりして地形が大きく変わるなどしているのだが、具体的にどんな変化があったのか、説明がされることはない。またブルーノアが敵を攻撃する際にも、土門艦長は何か作戦を立てているに違いないのだが、どんな作戦なのか説明されないので、戦いの場面で一体なにをしようとしているのかが伝わってこず、まったく盛り上がりなく淡々と過ぎ去ってしまう。おまけにブルーノアには、ヤマトにおける波動砲のような最終兵器「反陽子砲」が搭載されており、地球環境への影響などお構いなくぶっ放してしまうのだが、これはさすがに、唯一の被爆国が作るアニメとしていかがなものかと思わざるを得なかった。

敵将ユルゲンスとの最終決戦で負傷した
ブルーノア艦長の土門は、あとを主人公の真に託して戦死する。

 ラスト4話でようやくブルーノアは宇宙へ上がるが、諸般の事情でゴドム人工惑星は最終決戦前に自滅してしまう、というある意味新しいタイプの衝撃のラストであった。しかしとりあえず、盛り上げるために取ってつけたような決戦が行われ、お約束のように艦長は戦死する。死の間際に、普段はおとなしいのに父親に向かって時折激しくプッツンする娘、ケイと和解する。まさに男のロマン、おじさんの夢である。
 「さらば宇宙戦艦ヤマト」で古代を特攻させたことを松本零士に批判され、テレビ版「宇宙戦艦ヤマト2」では古代が特攻しようとする理由が変更、また結果的には特攻しないというラストに変更された。それは作品として、私はとても良かったと思っているが、西崎義展はやはり、戦場で何かを背負って美しく散る、という生き様、いや死に様にロマンを追い求めてしまうのだろう。ちなみにもう一人のおじさんキャラ、シイラ艦長清水ももちろん戦死する。

 ヤマト、ガンダムでアニメの視聴者層の年齢がやや上がったとはいえ、本作はティーンエイジャーが目をキラキラさせるような<華>がなく、話の展開も淡々として盛り上がりに欠けている。音楽には平尾昌晃、主題歌には川崎麻世と当時の人気者を引っ張ってくるのはさすがの手腕だが、アコースティックギターが主体の音楽はやはり華やかさ、重厚さに欠けその旋律はどこか「おじさんの背中に漂う哀愁」のようなものを感じさせる。とても、ティーンエイジャーの心に響くものではないだろう。

 結局のところ、西崎義展はヤマトで出来上がった型を利用して、自分の作りたいものを作ったのだろうと思うしかなかった。それが、海を舞台にした海洋SFだったのだろうが、不思議なことに、本作には海の生物は一匹たりとも出てこない。シイラやブルーノアが潜航する海は、本来なら宇宙と異なり生命の源であり生命の神秘にあふれた場所である。海底の地形も複雑で、それが戦術、戦略に影響してくることも大いにあろう。そうした描写はまったくなく、果たして海の何が描きたかったのだろうかと、首をかしげたくなるのだった。

 そうしたアイデアを、もっとうまく形にできる人材が製作陣にいたならば、もっと面白い作品になったかもしれない。その意味で、演劇、映画などと同じく総合芸術に分類されるアニメは一人のネームバリューだけで完成させられるものではないのだと感じた。

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