機動戦士ガンダム 全話レビュー第37話「テキサスの攻防」
あらすじ
ホワイトベースはソロモンの残存戦力を掃討するため、テキサスゾーンに入った。そこには月面のグラナダ基地から出ていたマ・クベの艦隊とザンジバルのシャアがいた。ホワイトベースと遭遇したマ・クベは自らギャンで出撃。巧妙な罠をしかけて、アムロのガンダムをテキサスコロニーに招き入れる。シャアにつきそわれ、荒野でその戦いを見守っていた少女ララァは、今まで経験したことのない共振を感じていた。
脚本/山本優 演出/貞光紳也 絵コンテ/ 作画監督/中村一夫
コメント
20数分の中に、さまざまな要素がギュッと詰め込まれた、すさまじい展開のお話である。というのも、全52話の予定で制作が進められていた本作が43話までで打ち切られることとなったため、9話分の展開を繰り上げて織り込むか、切り捨てるかしなければならなくなったからである。「機動戦士ガンダム・記録全集(5)」の記述によれば、脚本は富野監督が全52話で執筆したシノプシス「トミノメモ」をもとに書かれており、36話までは、ほぼその流れに沿って展開しているが、37話以降は、本編とはかなり違ったものになっているという。「テキサスの攻防」と題されたエピソードは、「トミノメモ」では38話となっている。本作では、本来37話に展開されるはずだったエピソードも織り込みながら、1話にまとめられているように思う。そのため、一つのセリフやワンカットで描かれた場面から、何が行われているのか行間を読まなければいけないところも、少なからずある。
そんなところに留意しつつ、ストーリーを追っていきたい。
宇宙要塞ソロモンが陥落し、ギレンは「ア・バオア・クーを最終防衛線として、連邦を撃つ」と宣言する。ドズルの死を報告したギレンにデギン・ザビ公王は「ドズルにしてもっともなことであるよ」と言った、とあるが、その最期の散り際はいかにもドズルらしい、というほどの意味だろうか。もはや負け戦を確信したと思しき公王に、ギレンは怒りを覚えた、ということなのかと思う。
勝利の喜びのまったくなかったホワイトベースでは、戦いのあとの小休止の時間となっていた。ここで、場面はアムロとフラウのひさびさの会話にフォーカスする。二人の関係性の変化が描かれる場面だが、詳しくは後述するが、アムロはフラウと話をしなくなった、と思っており、フラウはアムロが変わった、と思っているという、微妙な距離感が表現されている、とだけ言っておこう。
ホワイトベースは、ソロモンを脱出した敵艦の掃討作戦についていた。一方、シャアのザンジバルは、ララァの専用機、そしてシャア自身の新型モビルスーツ・ゲルググのテストのため、テキサスコロニーに向かっていた。 近くにいる木馬をマ・クベの攻撃させようとシャアは画策する。その策通り、マ・クベのチベに発見されたホワイトベースは戦闘体制に入り、入浴中だったセイラも落ち着く暇なく、Gアーマーでアムロとともに出撃した。
マ・クベの方は実はやる気満々で(いつの間に準備したの?!)、自分専用に開発してもらったモビルスーツ・ギャンで出撃し、自らの手でガンダムを撃墜する気でいるのだった。キシリア少将への男の面子を立てるため、そしてシャアの鼻を明かすため。得意然と、自ら出撃する理由を語るマ・クベの言葉の端々に、その器の小ささが表れていて、つい、笑ってしまいそうになる。
しかし、マ・クベの小ささ自慢は、ここでは終わらない。Gアーマーからボルトアウトして1機になったガンダムをリックドム数機で誘い出し、あちこちに仕掛けた罠で仕留めようというのである。
罠その1:岩石砲台
マ・クベのギャンは砲塔を仕込んだ岩石上でガンダムを待ち構える。リック・ドムに誘い込まれてガンダムがやって来たところで自分は岩石から飛び退き、岩石砲塔から砲撃を仕掛けてガンダムを仕留める。
罠その2:テキサスコロニー扉爆弾
ドリフのコントの応用のような攻撃である。テキサスコロニーに誘い込まれたガンダムは、中に入るため、コロニーの隔壁を操作して開閉する。扉を開けるとタライが頭上に落ちてくる方式で、隔壁を開けると爆弾が爆発する仕掛けでガンダムを仕留める。
罠その3:空中機雷
第1、第2の罠を突破したとしても、テキサスコロニー内部でさらに第3の罠が待ち受けている。それが、空中機雷である。コロニー隔壁か内部に入るとき、ガンダムを下から攻撃すれば上へ飛ぶはずだ。そのとき、ガンダムを取り囲む機雷に接触、爆発してガンダムを仕留める。
と、このような三重の罠を、いつの間にやら仕掛けておいた用意周到なマ・クベだったが、不思議な能力に目覚め始めていたアムロには、出会った直後にすべてがお見通しだったのである。マ・クベの人物を看破した、アムロの一言が実にすがすがしい。
こいつ、こざかしいと、思う!
そんな戦いが繰り広げられている中、テキサスコロニーではシャアとララァが、マ・クベ対アムロの戦いを高みの見物、というところだった。というのも、本当はララァの専用機であるエルメスとビットのテストをする予定だったが、機体がまだ届いていなかったからである。シャアは新型モビルスーツ「ゲルググ」に搭乗し、「さて、マ・クベのお手なみを見せてもらおうか」と余裕綽々である。しかしララァは、何かが来る、と感じでいた。フラナガン博士によると、「今までにない脳波の共振」であるという。
このテキサスコロニー内部でのガンダムとギャンの激闘の最中、テキサスゾーンでは、暗礁空域に浮かぶ岩を盾にして、ホワイトベースが重巡チベと交戦していた。カイのガンキャノンが出撃し、セイラのGファイターとともに、残るリック・ドムを片付けている。そして、3.2.1、どうぞ とミライが指示を出すと、岩陰からホワイトベースが砲身を出してチベを砲撃する様子が描かれるが、このわずかワンカットの艦隊戦は、打ち切りで消えた本来の37話の名残ともいえる場面であろう。(ちなみに、打ち切り前の37話は、バロム大佐がシャアと共謀してマ・クベを亡き者にしようと企てるが、バロムがガンダムにやっつけられてしまうというお話である)
こざかしい、とアムロに看破されてしまったマ・クベの3つの罠はあっけなく突破されてしまうが、実は第4の罠があった。出てきたシャアの赤いゲルググとの小競り合いで、アムロはガンダムのビームを使い果たしてしまったのである。これがマ・クベの計算通りだというのだ。いやあんた、さっきシャアがガンダムをやろうとしたら、俺の獲物を横取りすんな、と止めとったやんか!というツッコミはさておき。
そしてマ・クベは得意の剣技でガンダムに止めを刺そうとするのだが、そんなことで怯むアムロではない。ビームサーベル二刀流でギャンを迎え撃ち、2本の剣でギャンの胴体をX斬りにしようとしたそのとき!
もう、おやめなさい、終わったのよ
という不思議な声をアムロは聞く。だが、時すでに遅し。ギャンは爆発し、 マ・クベは「あの壷をキシリア様に届けてくれよ。あれは、いいものだ」と言い残してテキサスに散った。
そのとき、ララァとアムロは、互いに互いの名を知るのである。
と、ここまでは主にマ・クベの気高くも小賢しい戦いについて見てきたが、「この一言」では、ララァとアムロの邂逅を、それを予兆するそれぞれの人間関係について、掘り下げていこう。
この一言! 私と同じ人がいるのかしら
この一言は、実に深い。私と同じ人、というのが何を言わんとしているのか、それが言葉できちんと定義されていない中で、「同じ」であることを見るものに伝えるために、アムロとララァ、それぞれの立場で、近しい人が自分と「同じでない」ところを描くことでアプローチしようとしているからである。
(1)アムロとフラウ・ボゥ
冒頭、ソロモン攻略戦後の小休止の中で、医療チェックを受けるアムロとフラウ・ボゥとの会話はなかなか印象的なものである。ジャブローを出てから戦闘に明け暮れていたアムロが、久しぶりに素の少年に戻って話ているからである。
フラウ・ボゥもいろんなことやらされて、
大変だね。
アムロに比べたら、楽なものよ。
いつからだっけ?
何が?
僕ら、話しなくなって。
そうね、無我夢中だったからね。コンピュータの内診は異常なしよ。アムロってこわいくらいたくましくなったのね。
え?
私なんかには、届かなくなっちゃったのね。でもいいのよ。弱虫のアムロなんて見たくもないし、みんなこうして大人になっていくんでしょ。
ご‥‥ごめん。フラウ・ボゥ、何も僕‥‥。
いいんだってば。でも、サイド6で何かあったの? アムロ、変わったみたい。
そ、そうかい? べ、別に‥‥。いつか、話せるようになったら、話すよ。いろんあことが、あったんだ。
そう。
アムロにも、フラウと話さなくなったという自覚はある。それはお互いにいろんなことをやらされて「大変」だから、という意識が、最初の言葉から窺われるが、フラウ・ボゥにとっては、それは少し意味が違っていることがわかる。「アムロってこわいくらいたくましくなった」「私なんかには、届かなくなっちゃった」という言葉が、その心境を表している。お隣さんで親しかった二人の間に、心理的な距離感が生まれているのである。近しかったフラウは、それを強く感じていることが「アムロ、変わったみたい」と言っていることからもわかる。かつては、同じように暮らし、同じように共感していたアムロが、自分とは違うと強く意識されるように変わった、と感じているのである。
(2)ララァとシャア
ララァとシャアとは、一見して明らかに、育ちも境遇もまったく異なっていることがわかる。そして軍の中ではシャアがララァの上官であり、ヴェテランパイロットのシャアに対してララァはこれからテスト飛行に入る新兵にすぎない。つまり、二人は互いに自分たちは同じでない、と思っているわけだが、以下の回はでは、その同じでない部分と、これから上下が逆転していくであろうことが予兆されている。
何を見ているんだ
大佐を。いけませんか?
構わんよ。
私に、エルメスを操縦できるのでしょうか。
怖いのか。
はい。
それは、慣れるしかないな。私がいつもついていてあげる。そうしたら、ララァはすぐに私以上のパイロットになれる。
私が、赤い彗星以上に
当たり前だ。そうでなければ、孤児だったララァをフラナガン機関に預けたりはしない。サイド6では、寂しい思いをさせてすまなかったな
「私に、エルメスを操縦できるのでしょうか」と、パイロットとなって戦場に出ることへの不安を口にするララァに対して、シャアは経験者の立場から「慣れるしかない」「私がいつもついていてあげる」と、ことのほか優しい言葉で助言する。そして言うのだ。「ララァはすぐに私以上のパイロットになれる」と。こうしてみると、二人にはそもそも同じ視点に立つ土台はまったくないわけだが、二人の会話から醸し出される雰囲気に敏感になってみると、二人に共通のものがあるのかなあと思う。ヒントとして、シャア・アズナブルを演じた声優、池田秀一さんの著書「シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星」を紐解いてみると、次のような記述がある。
これを前提に、「この一言!」を見てみよう。
私と同じ人がいるのかしら
ララァ、今、何と言った
うふふ、大佐が私の心を触った感じなんです
私が?
ララァ、冗談はやめにしてくれないか
はい。
恋愛的に出来ている、という2人は、立場の上下や境遇の格差などの関係性を超えて、互いに思い合うという一点で「同じ」になれる。シャアの言葉の端々に、自分を低くしようという意識が感じられるのは、そのためであろう。しかし、ララァはそんなシャアに対して言ったのだ。「私と同じ人がいるのかしら」と。
ララァは続けて、「大佐が私の心を触った感じ」とそれを表現する。この言葉に、セクシャルな雰囲気を感じ取るのは私だけではないだろう。しかも、そう言いながら「私と同じ人がいる」ということは、シャアは私と同じではない、と言っているのと同意ではないか。イラっとした様子を見せるシャアは、実に人間らしいと思う。
こうして、アムロとララァ、それぞれが近しい立場にある人と「同じでない」ことが描かれた。そんな中で、この回の最後に二人は互いの名を不思議な方法で聞き取った。「私と同じ人」として。
ここにきて、敵と味方の二人の男女が、互いを「同じ人」と認識する。二人は一体どうなっていくのか、今までにないワクワク感が醸成されてゆく回である。