誘導瞑想で前世を体験してみた②
YouTubeには、自分の過去世を体験できる誘導瞑想の音声がある。全体で30分程度。静かな場所で横になって音声を聴き、声に従って空想世界の草原や山を歩いた後、過去世での自分を一人称or三人称視点で味わうものだ。
前回の記事はこちら。
過去世が実在するかは脇に置いて、私は誘導瞑想を「自分の無意識を探索するもの」と捉えている。捉えたものに正解も間違いもないし、2回目以降は何かしら違ったものが見えるだろう。寝ているときの夢がそのつど違うように、誘導瞑想でもまた違った体験ができるはずだ。
そう考えて、2回目の瞑想をした。初回から3週間ほど経っている。
舞台と設定
そこでの私は短髪の男性で、半袖のシャツを着て制帽を被っていた。高い屋根がついた半屋外の空間に立っており、周りの資材が目についた。
本土から離れた場所に島があり、船を整備する拠点になっていた。現実の脳内に船の知識がないため解像度が低くなっていたが、「船を整備する」という概念は理解した。何かの輸送に使うような、実用的で無骨な船だった。
島の生活には制限も多いが、そのぶん給料は良かったように思う。私は20代半ばで独身だった。
島に一般の住民はおらず、働き手の男ばかりが集まって暮らしていた。暇になったときは空き地で球技をしたり、室内で輪になって座り、札を使って遊んだりしていた。小銭や日用品を賭けていたように思う。
ある日、船に乗って海に出る仕事が入った。
元々私が乗るはずだったが、直前になってメンバーの変更があり、数人の仲間と先輩が代わりに船に乗り込んだ。
船は沖合に沈み、私は島に残ったまま沈没の知らせを受けた。乗組員の皆が海に沈んだ。
本土に戻る
偶然生き残った私は、本土に戻った後、女性を紹介されて結婚した。派手な贅沢はせず、技師の仕事を続けながら暮らした。
我が子を望んだこともあったが授からず、夫婦2人で過ごしていた。当時は、子を授からないのは妻に原因があると捉える者が多く、私は「そうとも限らないのに」と内心で思っていた。
年を重ねるにつれて、あれこれ言う者は減り、心穏やかに過ごせるようになった。
60代の頃、いつも通りに仕事に向かった私は、突然命を落とした。心臓発作か脳の病だったんだろう。
音声の終盤で、器に入った豆腐が頭に浮かんだ。私は晩年に豆腐を好んでおり、妻がよく食卓に並べてくれたらしい。
ストーリーはこれで終わる。
前回の体験(戦前の一児の母親)に続いて、昔の日本が舞台になっていた。何らかの理由で日本の風景に親和性があるか、海外についてのデータが脳内に少なく、引き出して像を結びにくいのかもしれない。今後も気が向いたときに体験して、ここに書き残したいと思う。